勿忘草の誘い｜リアクション

勿忘草の誘い

【琥珀色の邂逅】

　磴琥珀がとあるバーで一人静かに飲んでいた時のこと。

「失礼、隣、いいかい？」

　見知らぬ男が声をかけてきたので、頷き一つで返す。

「マスター、ミントジュレップ頂戴」

　隣の席をちらりと見れば、ミントジュレップの似合わぬ無精髭を生やした男がいた。
　男が麻のジャケットを脱げば、酒や食事の邪魔にならない程度の微かな甘い香りがふわりと琥珀の鼻をくすぐった。

「お洒落ですね」
「ん？」
「いえ、私は香水の類を今までつけたことがなくて」

　つい口をついてしまった独り言に近い言葉を男はすかさず拾って反応を示して来た。少々驚きつつも、動じることなく琥珀が返すと男は大げさに両手を広げて残念そうな顔をして首を左右に振った。

「そりゃあオニーサン勿体ない！折角イイ男なんだし、もっと洒落っ気だしていこうよ」
「興味はあるんですが……」

　琥珀がそう言ってグラスに口をつければ、男はスッとグラスを乗せていたコースターの上に勿忘草色のカードを差し出した。

「『Herbe d’ amour』？」

　カードに描かれた銀色の文字を琥珀が読みあげれば男は笑顔で頷いた。

「そ、俺の店なんだけど、香水売ってんのよ。良かったらオニーサンも来てみてよ。良い『コ』紹介するぜ？」

　裏には簡単な地図と電話番号が書いてあった。
　そしてその夜は他愛ない世間話を少し交わして男と別れた琥珀が、地図を頼りに店にやってきたのはそれから数日後の夜のこと。

「やぁ、いらっしゃい」
「こんばんは、先日ぶりです」

　カウンターに立っていたのは間違いなくバーでカードをくれた男、高松由季也だった。軽い挨拶をかわして店内に入れば棚に並べられた様々な香水瓶が琥珀の目に入る。

「どれも綺麗ですが……迷ってしまいますね」

　眼鏡を押し上げ、思案するように首を傾げた琥珀に由季也は小さく笑って一本の香水瓶を何本か取り出して来た。

「オニーサン、接客業してるって言ってたっけ？」
「ええ、だからお客さんがリラックスできるような香りが良いです」
「好きな季節は？」
「実りの秋でしょうか」
「好きな色は琥珀色？」
「よく解りましたね」

　滅多なことでは動じない琥珀だが、少しだけ驚いたのか眼鏡の奥の瞳が微かに見開かれた。

「なんとなく、ね。さて、オニーサンにぴったりの一本が見つかった」

　そう言って由季也が取り出したのは、琥珀色の液体が入ったオーブ状の香水瓶。洋梨や葡萄と一緒に妖精が描かれたラベルが貼られている。
　その香水をふきつけたテスターをあおげば、琥珀の鼻を芳醇な秋の果物の香りがくすぐった。

「最初は今感じたように洋梨の香りなんだけど、時間が経つとワインやブランデーを思わせる深く落ち着いた香りになっていくんだ」
「成程、じゃあこれを戴きましょうか」

　この香りならお客さんもリラックスしてくれそうだし、何より琥珀色に煌めく瓶が気にいって購入を決めた。
　自分を拾ってくれた父が、自分の瞳を見てつけてくれた名前。
　単純だが大切な、特別な色。

「ありがとうございました。機会があれば、うちの店にも遊びに来て下さい」
「こちらこそお買い上げありがとう。それじゃあ今度恋に効く石とか探しにお邪魔しちゃおっかな―」

　軽いノリの由季也に見送られて店を出た琥珀は、はて？と小さな違和感に気付いて首を傾げた。

「私、なんの店か言いましたっけ……？」

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