勿忘草の誘い｜リアクション

勿忘草の誘い

【調香師はかく語りき】

　斑鳩遙が仕事を終え、シーサイドタウンをあてもなく歩いていたのは日が長くなった7月でもすっかり夜の帳が落ち切った頃だった。
　手にした携帯の画面には所属しているクラシック同好会を纏めている高校生、篠崎響也からのメール。
　今日の練習には出席できないと打った自分のメールに対して次の練習日時を返してくれたようだが、そんな事務的な内容に加えてこのあたりで少し変わった香水専門店を見つけたと言う話が添えられていた。

　クラシック音楽、香水。
　
　遙がこの2つから思い出す人物は一人だけ。
　無味無臭の乾いた自分とは対照的な、人を惹きつけてやまない魅力に溢れていた大学時代の友人、時任彼方。
　この世にはもういない友人のことを思い出している内に、気が付いたら遙の目の前には勿忘草のプレートが掲げられたドアがあった。

「いらっしゃい。どんな香りをお探しで？」
「……俺にうってつけの香りがあれば。それと、今は亡き友人用に」

　由季也は顎の無精ひげを撫でながら遙をじっと見つめた。

「そうだな、まずはオニーサンにはコレだ」

　棚に飾られた数あるボトルの中から由季也が選んだのは、月を抱いた夜の海に一輪の鈴蘭が浮かんでいる絵が描かれたラベルのボトル。

（そういえば、昔時任に貰った香水も鈴蘭のものだったな）
「オニーサンはキレイな顔してるけど、なんだか根っこに毒がありそうだから」

　まるで子どものような笑顔を浮かべる由季也に他意はないのだろうと遙は察するが、やはり似たようなことを友人に言われたことを思い出して思わず曖昧な笑みが浮かぶ。
　しかしテスターを顔に近づければ、意外にも鼻をくすぐったのは爽やかなライムの香りだった。

「トップ・ノートは爽やかで人当たりの良いライムだけど、時間がたつと甘い鈴蘭と深いミルラの香りが立ってくるんだ。ラスト・ノートは月光のイメージだよ。そういえばお友達はどんな人だったのかな？」
「音楽会のメフィストフェレスと言われてたんだが」
「ああ、もしかして時任彼方君？」
「！？」
「俺がフランスにいた頃にもコンサートに来てたしね。彼のピアノは魅力的だったよ。いや、蠱惑的と言った方が正しいかな」

　そんなことを言いながら由季也が取り出したのは、ピアノを弾く悪魔の姿が描かれたラベルの貼られた香水瓶だった。
　テスターからは頭の奥を痺れさせるようなイランイランやパチュリーらしきオリエンタルな甘い香りが匂い立ってくる。

「俺の中で彼の音楽はイメージはこんな感じでね」

　結局その二本を買い求めた遙が店を出る時、由季也はありがとうと礼を述べた後に思い出したように付け足した。

「知ってるかな？　ミルラって、昔から死者の傍にある香りなんだよ」

　由季也が何故そんなことを言ったのかは解らない。
　しかし遙はモノクルの奥の瞳が何かを見透かしている様な、そんな気がして仕方なかった。

　不思議なオーナーのいる香水専門店は今日もひっそり営業中。
　皆様のまたのご来店、心よりお待ちしております。

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あとがき

担当マスター：本条小鹿
ファンレターはマスターページから！

今回ご参加戴いた皆様、またここまでお読み下さった皆様、誠にありがとうございます。
香水専門店と言いつつ精油からドライハーブまで扱う香りの専門店の『Herbe d’ amour』、少しでもお楽しみいただけたのなら幸いです。

店主の高松由季也、お察しかもしれませんがただのヒトではございません。

彼に関しては機会があれば追々情報を開示していければと思っております。

それでは皆様とまた遠くないうちに再会できますことを祈りつつ、今回はこれにて。
皆様が良き夏を送れますように。

※個別では香水の名前だったりイメージを少し語っていたりします。オマケ程度にお楽しみください。

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