Geheime Maske｜リアクション

Geheime Maske

　白いスカートの裾を翻し、遊琳は自身の作った薄布製のアートフラワーに視線を落とした。これは、遊琳の生み出した、世界。煩悩やエゴや愛情、遊琳のフィルターを通して作り上げられた小さな箱庭。
　灰青紫色をした、シャトーミルティーユ。細い茎には小さな棘が光り、覆い隠す葉はない。氷のような鋭さに、隠さない攻撃性、美しさに不用意に触れれば、きっと怪我をするだろう。
「覇気が刃気に……否、そう思われてるだけの子。さようなら、征一郎」
　幾重にも重なった花びらが、炎に包まれる。暫し見つめた後で、白い浜茄子のアートフラワーを指先でそっと撫でる。
「傷付いた人が何かを傷付けて、満足できるならいいけど。本当に優しい人はその行為にも傷付く。……そうだよね、深雪？」
　華やかな容姿は、人を惹き付けて止まない。美しい花は、すぐに手折られてしまわないように、棘や毒がある。それを攻撃性だと見るか、自己防衛だと見るか、きっと人によって違うのだろう。少なくとも遊琳には、弱い花が見せる精一杯の抵抗に見える。次々と火葬されていく世界。最後に残ったのは、細い茎に支えられたターンブルー。葉に覆われて見えないけれども、棘はない。
「この子は……そう、君だったね、パティ」
　名前を呼ばれ、征一郎は遊琳の手元を見たまま固まった。遊琳が艶やかに微笑み、花弁を指先で慈しむように撫でる。そう、この子はパティ。征一郎ではない。今の遊琳がハニエルであるように、彼もまた、仮面の姿。
「楽譜という『世界』をそっくりそのまま奏でられる君の腕も、君の奏でる『世界』も愛おしいね」
　征一郎の頭に、血が上る。思わず遊琳の細い腕を掴み、鋭く睨みつける。
「知ったような口を……！　言ってる意味が分からねぇな」
　低く地を這うような声だったが、遊琳は怯まなかった。ただ静かに微笑み、愛しむような蜜色の瞳で征一郎を見上げ、手に持っていた花をそっと差し出した。
「この花は君にしか読めない楽譜（せかい）だから、あげる。好きにして」
　何かを言いかけた征一郎だったが、強く奥歯を噛み締めると花を手で払った。飛ばされた花は火の中に入り、灰色の煙を上げながら見る間に燃えていく。征一郎が酷く動揺した様子で手を離し、遊琳は火の傍でしゃがむと薄く唇を開いた。隣に立つ征一郎ですらもほとんど聞き取れないほど小さな声で、風が攫ってしまうのを計算に入れながら、歌うように話し始める。
「この仮面があれば、僕はもっと僕の素直な愛情を謳える。いつか朝を失う前に、受け取って欲しい『世界』がある。……いつか僕が永遠に夜に残る時は、この子の音が僕の物語の最後の扉（頁）を綴じて……なんてね」
　パンタローネの仮面の下、征一郎の青い瞳が左右に揺れる。無数の棘に守られた弱い心、必死に自分を守ろうとする姿はいじらしい。
「大丈夫、今解らない事は忘れていい。気にしなくて、いい」
　征一郎が堪らずに背を向けて歩き出す。遠ざかって行く背を見ながら、遊琳は聞こえてくる旋律に耳を澄ませた。美しいピアノの調べはどこまでも透明で、だからこそ、廊下で見た絵が胸に突き刺さる。
「偽りの世界で育った花は、どんな花を咲かせる？」
　風が言葉を攫う。遊琳は大きく広がるスカートを押さえ、立ち上がった。
「……真実の花、だろ？」
　隣に立っていたこまちが、低く呟く。遊琳は曖昧に微笑むと、美しい旋律が聞こえる窓を見上げた。偽りしか知らない花にとって、ソレは真実となる。偽りの愛で満ちた世界で、たった一つだけ真実の愛を語る旋律。偽りの足場が壊れない限り、彼女は真実の心を紡ぎ続けるのだろう。

　心のわだかまりが溶けて行くような感覚、こんな自分を受け入れてくれるかもしれないという淡い期待、差し出された手を掴みそうになった時に、脳裏に響く自分の声。
　また他人の人生を狂わせるのか？
　そう、本当に自分の弾く曲は歪んでいる。人を不幸にする悪魔の旋律だ。悪魔なんかに手を差し伸べる優しい人間を、狂わせるわけにはいかない。自分を受け入れてもらおうなんて、思ってはいけない。誰かの優しさに縋ってはいけない。自分は、誰かを傷つけることしか出来ないのだから……！
　柔らかなピアノの旋律が征一郎の耳に届き、思わず足を止める。美しい調べはどこまでも優しく、人を癒すような音色は心地良い。征一郎は階段を上がると、ピアノの聞こえる部屋の隣に入った。一見するとヴァイオリンが入っているとは分からないケースからオリアスを取り出し、仮面を外す。音に呼吸をあわせ、そっと目を閉じると即興で奏で始めた。
　天使のように透き通ったピアノの音色は、征一郎の音をも包み込みながら、泣きたくなるほど優しい曲を紡いでいた。

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Geheime Maske

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