雨の日と月曜日は｜リアクション

雨の日と月曜日は

「ほ？」
　という声は野々ののこの声だ。
　雨上がりの道、身も心も軽くなった状態で帰路を歩いて、アパートまでたどりついたときだ。階段のところで、英二はののこを見かけて声をかけたのだった。
「英二くん、おひさ」
「そういえば、久しぶりかな」
　一週間ぶりのように思う。同じアパートに暮らしているのに、自分は大学生、ののこは無職まっさかりで、あちこちふらふら出歩いている様子、意外と出会わないものだ。

「ごぶさたどすえ～、どないしてましたのん？」
　また意味の分からない口調で言うものだが、むしろののこらしくていいと英二には感じられる。
「平凡に大学生活を送ってた、ってところかな。野々さんは？」
「猫の集会に混じったりしてた。知ってる～？　ああいうときに猫ちゃん撫でても、『忙しいから後でね』って顔されるんだよ～」
　一週間ずっと猫の集会に顔を出していたとは思えないから、これくらいしか話すことがないのだろう。いやしかし、ののこのことだから、七日間欠かさず出席していた可能性もあるにはあるのだが。
「雨、上がったねぇ」
　ののこが階段の手すりに手をかけて、空を見上げた。長い昼間もようやく翳（かげ）りはじめていた。
「立ち話もなんだし、そろそろ──」
　英二が言いかけると、ののこがぱっと割り込んだ。
「うん、じゃ英二くんの部屋行こ！」
「えっ？　え？　うち？」
「ほかにどこがあるの？」
　当然のように笑って、ののこはぴょいと階段を下りてくる。
　英二は一瞬固まったが、結局、逆らえずその背中を追った。

　部屋に入ると、英二は慌てて洗濯物をどけた。
　ののこはというと、さっそくソファ代わりのベッドに腰を下ろし、部屋を見回している。
「変わってないねぇ。英二くんの部屋って、なんか落ち着く」
「いや、散らかってるだけだと思うけど」
　照れ隠しにコーヒーを淹れながら英二は言う。不意打ちの豪雨に襲われた話を簡単に述べて、
「それで駆け込んだスーパー銭湯……前に野々さんと行ったあそこでね」
「『微笑の泉』行ったんだー、いいなー。私も呼んでくれたら行ったのに～」
「え？　あ、そう？　でもほら、今日は事情が事情だったから……」
　はにかみつつ英二はつづける。　
「で、お風呂で先生たちに会ったんだ」
「先生たち？」
「寝子高の。五十嵐先生とウォルター先生」
「うそ、あのふたり仲よかったんだ！」
「うん、まあ……仲よさそうでは、あったよ」
「えっ、じゃあ見たの？　先生たちの全裸」
「ちょっ、やめてよその言い方っ」
「ふふっ、五十嵐先生って、ああ見えて意外と毛深そう～」
「ふ、普通だったから。胸毛とかなかったし！　うわ、なんでこんな話に！？」
　ののこはケラケラ笑い、英二は顔を真っ赤にしながらカップを手渡す。
「はい、コーヒー」
「ありがと。英二くんのコーヒー、好き」
　その一言で、英二の耳の先がさらに赤くなった。
　ののこはくすっと笑う。
「そういえばさ」
　と言った。
「うん？」
「来週川崎の映画館でね、ゴアラ映画の特集上映やってるんだって」
「えっ、ゴアラ？」
　英二の顔がぱっと明るくなる。
　特撮怪獣映画がふたり共通の趣味になって久しい。元はと言えば英二の趣味が、ののこに伝わったというのが実情だ。
「一週間日替わりで、人気作がずらっと！　初代からリブート版まで、ぜんぶ35ミリのフィルム上映なんだってさ。しかも最終の土曜日は──『ゴアラ対ヘドロ』と『ゴアラ対メガラ』！　ね、行かない？」
「それって……お誘い？」
　ののこは「当たり前でしょ」と笑った。
「だ、だって寝子島の外だし、電車で……」
「乗り継ぎ少ないし、簡単に行けるよ。朝に出たら、二本観ても夕方には帰れるって」
　いけない。
　英二は思い出した。
　ウォルター先生は、連れだしたらいい、って言ってたじゃないか。僕が尻込みしてどうするんだ。
「じゃあ行こうか」
「やった！」
　ののこは両手でバンザイした。
　英二はその笑顔を見て、胸の奥がほんのり熱くなるのを感じた。
　湯のぬくもりとは違う、もっとやわらかい熱。
　──焦らなくていい。見守っていけたら、それでいい。
　そんなふうに思いながら、英二は湯気の残るマグを見つめた。
　ののこはカップを口に運びながら、目だけでほほえんだ。
「ね、英二くん。その日が楽しみだね」
　その言葉には、ほんの少しだけ、他の意味がまじっているのかもしれない。
　けれど英二には、まだ届かない。
　そうして湯気のように、ふわっと流れていった。

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