文字通りの年がら年中、平日も休日もあまり関係なく化学準備室に籠もっている
五十嵐 尚輝にも、授業のある日とない日の差はやはり歴然としている。ただぼんやりしていればいいだけの日曜の翌日、やれ朝礼だホームルームだ職員会議だとひたすらスケジュールが詰めこまれた月曜日は、さすがのぼんやり具合も途切れ途切れにならざるを得ない。もちろん、その合間合間には授業もある。ブルーな気分にもなってしまう。だから、
「なんだか今日はドタバタで……」
独り言がもれたからといって、誰が尚輝を責められよう。
でも、
「何がドタバタだったんです?」
応じる声があったから、字義通りの独り言ではなかったようだ。
「あ、いえ……なんでも……っ!」
と言って振り返った拍子に水が跳ねる。ただしくは水にあらずお湯、透明にして温かい、つまりお風呂だ湯船なのだ。
裸で膝をかかえて、それでも頭には折ったタオルをちょんと乗せて、尚輝は収まっていたのである。銭湯の大浴場に。
透明な湯船をネス湖の怪獣よろしく、ついーっと尚輝の隣に移動してきたのは、
「五十嵐先生」
『お疲れ』という言葉を辞書に載せぬ男、
ウォルター・Bなのだった。もちろん裸体&タオル乗せスタイルだ。
「うわウォルター先生!」
「はい、その『うわ』です。お疲れですねぇ」
「……みたいです、はい」
太陽みたいに燦々と笑むウォルターから、尚輝は無意識的に目をそらせている。
どうして僕は、ウォルター先生とお風呂に入っているんだっけ。
それにしてもいい湯加減だ。
頭がぼんやりしてくる。いつも、ぼんやりしているような気はするけれど、特にいまは。
この日、めずらしく日のあるうちに校舎を出た尚輝は、傘を持たずに出たことを後悔した。
晴天にわかにかき曇り、ショパンではなくワーグナー風の雨が叩きつけてきたのだ。堤防が決壊したような勢いだった。出がけに見た天気予報は『晴れ』のニッコリマークだったから、強烈な裏切りに遭ったというわけだ。信長であれば「是非もなし」と言うところであろうが、尚輝は戦国武将にあらずただの高校教師である。
「うわっ!」
悲鳴みたいな声あげて、ぺったんこの鞄で頭を隠したが無駄な抵抗、あっという間にずぶ濡れになってしまう。
仕事着でもあり通勤着でもあり、つい休日朝ですら袖を通してしまう白衣も、たちまち水を吸ってずっしり重くなる。仕方なく脱いで小脇に抱え、ともかく雨宿りできる場所を探してばしゃばしゃと走った。
ようやくたどり着いた軒先が、旧市街のスーパー銭湯だったのはなんともはや、地獄に仏の気持ちである。なにせ靴まで浸水していたのだから。
もともとは、富士山のペンキ絵がどんと構える古式ゆかしき銭湯だったという。ちょっと前にリニューアルされて『スーパー』の文字を戴冠するにいたったそうな。改装前は尚輝も二、三度利用したことがあるような気がするが、そういえばずいぶんとご無沙汰だった。
玄関、靴のロッカーの使い方がわからず、さっそく二分半ほど右往左往した。
奇跡的に入り口を突破したものの、今度はアームバンド型の入場キーに難渋し、店員の助けを借りてどうにか巻いて脱衣して、ためつすがめつしつつ男湯の扉をがらりと開けたのである。
──それでようやく、人心地。
もくもくとたちのぼる温かい水蒸気が、雨に冷え切った心と体を包み込んでくれる。
なおこの入場キー、完全防水で液晶パネル付き。これひとつでロッカーの開け閉めはもちろん、店内の自販機や飲食店の支払いもできる。おまけに脈拍計測やタイマー機能まで備えた、なかなかに多機能なシロモノだ。土産物屋にはTシャツや下着もあるようで、乾いた帰路をすごせるだろう。
平日のせいか天気のせいかとても空いていた。それなのに尚輝は隠れるようにかけ湯して、洗面台も一番端の不便そうなところを選んだ。かくしてさっぱりし、湯につかってひと息ついたところで、何気なくつぶやいた言葉をウォルターに拾われたというわけだった。意外な場所で、意外な人に逢うものである。
「先生は、よく来るんですか……?」
黙っているわけにもいかず、尚輝は尚輝なりに気をつかって言葉を継いだ。スーパー化してからは初来店という話もする。
「僕ですか? まあ、たまに来ますねぇ」
こういう場所、クニ〈英国〉にはありませんから、とウォルターは目を細める。
「五十嵐先生こそ今日はどうして」
「えっと、雨に降られてしまって」
「おっと、外、雨なんですか」
ウォルターは降る前からいたようである。
「はい。すごい豪雨で」
「見たかった」
「雨を?」
「いえ、濡れ鼠の五十嵐先生を」ウォルターは楽しそうに言った。「あ、先生のこと指さして笑おうというのじゃないんですよ。僕もびしょ濡れになって一緒に走りたかったなぁ、と思って」
「……そうですか?」
「いいじゃないですか、青春って感じじゃないですか?」
言っている意味がよくわからないが、ウォルターが語るとそういうものみたいに聞こえてしまう。なかば驚嘆、なかば憧憬の念とともに、やはり天才の思考回路には追いつけないと尚輝は思うのである。
「青春ですか……」
どうにも慣れぬ言葉を口にして、尚輝は身の置き所がわからない。
「ですよう。あ、そうだ青春ついでに」
すでにウォルターにとって青春は既定路線らしい。彼は言った。
「背中の流しっこしませんか?」
いやそんな、いいじゃないですか恥ずかしがることもないでしょうに、でも……、こんな機会滅多にありませんよぅ──という一連のやりとりを経て、現在、尚輝は風呂椅子に座して、背後からウォルターにごしごしやってもらっている。
「近くで見ると五十嵐先生って、肌きれいなんですねぇ。十代みたいだ」
「ええと僕……あまり日に当たりませんので……」
「つるつるですよ」
「な、なぞったりしないでくださいっ」
青春って、くすぐったい。
「僕ねぇ」ここでちょっと、ウォルターの声のトーンが変化した。「友達いないんですよ」
どんな相づちを打てばいいのかわからず、「そうですか」と尚輝は応じた。でもそれも無愛想すぎないかと一生懸命考えて、言い足す。
「でもウォルター先生、人気あるじゃないですか。生徒たちに」
よくわからないけれど、まちがってはいないと思う。
「かもしれませんけど」──否定はしないようだ。しかし「でも」とウォルターはつづけた。「……同年代の、同性の友達となると、さっぱりなんですよねぇ……僕」
「はあ」
もしかしたらウォルターは、尚輝が「僕もですよ」と返してくれるのを待っていたのかもしれない。やや間を置いて、つづけた。
「五十嵐先生もそうでしょう?」
「僕は……一応、いるかもしれません」
「えっ!」
「えっ?」
このとき尚輝は思い出している。自分の姉とリック・ヤン氏の離婚が、とうとう成立することになった日のことを。
たまたま立ち寄った『クラン=G』で、この事実をリックが肩を落として告げた言葉が、いまも忘れられない。
「離婚が成立すれば、尚輝さんとはもう姻戚関係ではなくなってしまいますね……。赤の他人、ということになりますか」
そのときのリックの表情があまりにも寂しそうで、尚輝は自分でも驚くほど思いきって告げていた。
「……だ、だったら僕らは……友達ということでどうでしょう?」
なぜあんな言葉が急に口をついて出たのか、いまでもわからない。
けれどリックさんが嬉しそうに笑ったから、それでよかったと思うことにしたい。
さてそんな事情など知らぬウォルターが、露骨なまでに落ち込んだ様子なのを見て尚輝は戸惑った。
多分この場合の正解は
「う、ウォルター先生も僕の友達ですよっ!」だったろう。ちょい顔を赤くしつつならなお良し。でも尚輝にそんな対人スキルはないので、
「でもウォルター先生はモテるでしょうから」
ややズレたことを言った。慌てて口が滑ったか、さらに言う。
「今日だって、女性と来てるんじゃないですか」
「
ギク!」
「うわ『ギク』ってリアルに言う人はじめて見ました……じゃなくて、本当だったんですか!」
“Truth is stranger than fiction.”(事実は小説よりも奇なり)ですよ五十嵐先生──。
と明かすべきかどうか、ウォルター・ブラックウッドはまだ結論を出せないでいる。
湯船につかりながらもずっと、あとで合流してから『あっれー、君も来てたんだねぇ』で口裏を合わせてもらうプランを練っていたのだ。
稲積 柚春には。
これ書き上げたらお風呂洗いの予定! 桂木京介です。
ここまでお読みいただきありがとうございます。今回もガイド本文が長くて本当に申し訳ないです。
稲積 柚春さん、ガイドへのご登場ありがとうございました!
ご参加の際は、このガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。(スーパー銭湯に来ている、という設定でなくても問題ありません)
概要
寝子暦1372年の6月、本格的な梅雨入りはまだ……と思っていたら夕方から急に土砂降りになった月曜日の物語です。舞台は寝子島限定とします。
この日は天気予報が見事に外れたので、傘の用意をされていない方もいるかもしれません。
集中豪雨は一時的なものだったらしく、やがて晴れてきれいな星が見えることでしょう。このまま翌朝まで降らない予定です。
なお、時間帯に指定はありませんので、雨が降る前の午前中や昼間の話でも大歓迎です。
ド平日なので学生のキャラクター様はあまり遠出はできないでしょう。
社会人であっても、平日が休日の方以外は、日常よりのお話になると思われます。
NPCについて
制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
……あ、でも[TOF]のキャラクターは出せません。
特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします!
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、大泥棒の孫と最初敵で登場したのにいつの間にか仲間になっててしかもジョッキビール飲んだりするし初期は全然キャラちがうよねな剣客の関係……長いわ! など)を書いておいていただけると助かります。
参考シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(2シナリオ以内でお願いします)
私は頭があほうなので、たとえ自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないとかなりの確率で内容を思い出せません。ご注意ください。
それでは次はリアクションで会いましょう。
あなたのご参加をお待ちしています! 桂木京介でした!