[TOS] 狂気日食｜リアクション

[TOS] 狂気日食

●前奏曲 1

　夜のヴァロラ峡谷には、深い沈黙が降りていた。
　切り立つ岩壁に囲まれたコロニーの中心、粗末な石組みの食糧倉庫。その壁に背をあずけるように、年若い少女が警護に立っている。十六に届くかどうかの年頃だ。呼吸は浅く、握りしめた手には震えがある。腰のホルスターには旧時代型の拳銃が収まっていたが、まだ使い慣れてはいないだろう。
　わずかな灯火をのぞけば周囲は闇だ。峡谷の上空は雲が厚く、月も星も隠されている。
　だが遠く、岩壁の上には、いくつもの赤い点が明滅していた。
　焚き火でも灯火でもない。新世界機構の軍勢を成すガーナック量産型──無数のアンドロイド兵が放つ、冷たい眼光の群れだった。地上に落ちた星座が、こちらを監視しているかのようにも見えた。
　少女は思わず視線をそらした。
　あの光を意識してはいけない、そう直感したのかもしれない。
　その刹那。
　闇がかすかに形を変えた。
　気配は風よりも薄く、衣擦れすら立てない。影は倉庫の外壁に溶け、少女の背後へと忍び寄った。
　気づいたときには、もう遅かった。
　少女の首に手がかかる。
　冷たい指が喉を圧し潰し、酸素を奪い、少女の視界を反転させた。
「……っ！」
　声にならぬうめき。腰の銃に手を伸ばすが、気づかぬうちにホルスターから抜き取られていた。必死でつかんだ相手の腕は、鋼の環のようにびくともしない。
　胸の奥で肺が灼け、目の裏に白い閃光が散る。必死に命を繋ごうと口を開くが、喉から漏れるのは濁った喘鳴（ぜいめい）だけだ。
「あんたなら、年格好もちょうどいい」
　耳元に低い声が落ちた。抑揚のない、機械の呟きのような声音だ。
　慰めでも嘲笑でもなく、ただ事務的に状況を確認しているかのように聞こえた。
　少女の瞳は恐怖で見開かれたまま、光を失っていく。
　指先の必死の掻きむしりは、やがて虚空をかく痙攣へと変わり、力なく垂れ下がった。
　影は首から手を外すと、ぐったりとした身体を静かに受け止めた。まだ温もりを宿す肉体、その震えをたしかめるように。掌が一瞬止まったがそこに感情の揺れはなく、ただ確認作業の一環にすぎなかった。
　影は亡骸を倉庫の壁際に横たえ、衣服を剥ぎ取っていく。乏しい月光と、遠くの赤い点の反射が、白い肌を不気味に照らした。
　仕草は異様なまでに丁寧だった。しかしそこに死者への敬意はない。必要だからそうしている、とでも言うかのように。
　まもなくすべてを脱がされた死体は、崩れた石積みの隙間に押し込められた。当分は誰にも見つからないだろう。
　影は少女の装備を身につけ、腰の銃の残弾を確認した。アシンメトリーの髪に手櫛を入れ、姿勢を正す。その動きにも迷いはなく、一連の手順を何度も繰り返してきたかのような熟練度がうかがえた。
　こうして殺害者は、少女が元いた位置に立ったのである。遠目には、さきほどまで立っていた少女と変わらぬ姿だろう。
　峡谷の夜に沈黙が戻った。
　だがその静けさの裏で、ひとつの命が闇に消え、ひとつの影がコロニーへと潜り込んでいた。
　これが、破壊工作特化型ガーナック──ガーナックΜ（ミュー）のやり方なのだ。

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