[TOS] 狂気日食｜リアクション

[TOS] 狂気日食

　スコープを覗く。
　数秒前まで新島義弘を捉えていた視界が、音もなく滑るように移動する。
　イオタは息を整え、距離と風速を再計算した。
　照準の先に、桃色の髪が揺れる──デルタ。
　高笑いしながら、斜面を駆け上がっていた。網タイツの脚、道化者のようなスーツ。帽子もモノクルも失われているのに、あの悪趣味な派手さだけは健在だった。
　十字型の照準をデルタの額に合わせ、引き金に指をかける。
　……だが撃たない。
「まだ、お前は生かしておいてやる」
　呼気のような呟きが、低く漏れた。
　スコープ越し、デルタはつぎつぎと壁を生成して自らの逃走経路を覆い隠していく。追う者たちの動きは鈍い。義弘の死が、まだ彼らに影響を与えているのだろう。
　銃をささえにしてイオタは伏射姿勢から身を起こし、右膝を立ててタイタンⅡ型の肩座に座った。
「──どういう意味？」
　背後から声がした。
　振り返るとミューがいた。
　衣服は焦げ、頬には傷痕。だが両足でしっかり立っていた。
「イオタ、あんたの射撃〈シューティング〉の腕は認める。だが、集中しすぎだ」
「……」
「あたしが敵なら、いまごろあんたはもう死んでる」
　イオタの肩がぴくりと動く。表情にほとんど変化はないものの、苛立ちが感じられた。
「僕に戦闘技術の講釈か、ミュー」
「ただの感想だ」
　ミューはわずかに顎を上げ、峡谷の向こうを見やった。
「レジスタンスの首魁、新島は始末できたらしいな。だが、あんたにはもうひとり、狙う標的がいたようだ」
　イオタは答えない。
　やがてミューが、少しだけ顔をかたむける。
「……デルタだろう？」
　その声音には温度がなかった。ミューは言葉を継ぐ。
「デルタは逸脱を始めている。創造主〈ドクター・シザクラ〉の秩序に対して。いずれ反旗をひるがえす虞（おそれ）がある。秩序維持のためには、引き金を引くべきだったのでは？」
　イオタは視線をコロニーに向けた。
「壊れるべきものは壊れる。それだけだ」
　ミューは目を細めた。
「傍観者気取りか。世界が燃えるのを見て、拍手でもするのか」
「拍手まではしない。見届けるだけさ」
　風が吹き抜ける。
「作戦は成功。コロニー住民の大半は死滅した。あたしの任務は完了だ」
　ミューは背を向けた。
「だがあんたの任務は──まだつづくようだな」
　やはり、イオタは答えなかった。

　去り際、ミューは心中だけで言い加える。
　作戦は成功。ただし、完全成功ではない。
　梓楓の姿が記憶にこびりついている。
　次は、こうはいかない。

　イオタはため息をつくと、ふたたび銃を構えた。スコープ越しにコロニーを眺める。
　酷い有様だ。ほとんどの建物は焼け落ちており、一時的にせよ脅威となった数基の投石機も例外ではない。そして、大量の死体。老若男女の。
　たとえ政体維持ためとはいえ、これほどの殺戮が必要だったのか。
　ドクター・シザクラはこれを『秩序』と呼ぶ。
　……滑稽だ。
　そう思いながらスコープを動かしていたとき、映った。
　白い煙の向こう、瓦礫の影を縫うようにして、ひとつの人影が歩いていた。
　イオタの呼吸が止まった。
　視界の奥で、心臓の鼓動がやけに大きく響く。
「楓……！」
　思わず声が漏れた。
　空気を震わせるほどの音ではなかったが、その名を呼んだ瞬間、遠い記憶がいっせいに蘇る。
　川辺の風。笑顔。
　楓は僕のことを、『イオリ』と呼んでいた。
　イオリ……？　僕の名前……？
　シザクラ博士の手によって、すべての記憶は削除されたはずだった。
　人間の名も、過去も。
　それなのに、なぜ。
　イオタはスコープから目を離した。
　目を押さえ、ゆっくりと首を振る。機械の身体の奥で、脈打つものがあった。
　それが痛みなのか熱なのか、自分でも判別できなかった。