Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　仲村渠鳴が『食べ物が美味しい』と言う事を知ったのは、ごく最近だった。それまでは食べ物とは、美味しそうな見た目と匂いと食感を楽しむもので、味を楽しむという概念はなかった。
　その日は友達と一緒にご飯を食べに行き、和やかな雰囲気で食事をしていた。いつもなら大量に入れているスパイスを入れなかったのは、友達に奇異の目で見られたくなかったからだ。
　一口、二口、味がするという事に気付いたのは三口目だった。普段なら食感しかしない食べ物が、その日は味となって鳴の舌を刺激した。初めて感じる味に、鳴は夢中になって箸を口に運んだ。
　けれど鳴の舌は、いつも味を感じるわけではなかった。一人でする食事はいつだって味がなく、あの時の感動を味わう事はほとんどなかった。でも、スパイスをいっぱいかけて辛くすれば口の中が刺激されて、何となく食べ物を食べている気になれる。それで良いと思っていた。誰かと一緒に食べれば味がする時もあり、そうでなければいつもの事と諦めるしかない。
　誰かと一緒に食事をすれば美味しい。そう分かってはいても、わざわざ誰かと食事をしなくても良いと、諦めていた。いつも持ち歩いている沢山のスパイスさえあれば、食事をする事は出来るから。
　でもその日は別だった。
「もし良ければ、ここに座っても良いか？」
　学食で声をかけられ、鳴は顔をあげた。目の前に立っていたのは、青い髪が印象的な美人だった。浮舟久雨の手にはお弁当箱があり、鳴は大きく頷くとスパイスの大量に入った蕎麦を見下ろした。
　久しぶりに誰かと食べる美味しい食事。それなのに、こんなにスパイスが入っていたら味なんて分からない。鳴は大急ぎで蕎麦を食べると「ちょっと待っててね」と言って財布を片手に、嬉しい気持ちを抑えながら学食のメニューを見上げた。
　お腹はもう空いていない。けれど、折角美味しい食事が出来るチャンスを逃したくはない。どうせなら、いつもは食べないような甘い物でも食べてみよう。鳴の赤いつり目が引き寄せられたのは、チーズケーキだった。
　小さなお皿に乗ったケーキを手に久雨の待つ場所へと戻り、フォークで一口サイズに切ると口に運んだ。
「少し前から気になっていた。何故いつも、食事に大量にスパイスを入れるんだ？」
　久雨の声が鳴の耳に届く。しかし、その声は言葉になる事なく鳴の上を通り過ぎて行った。
　もう一口、嘘だと言う気持ちを押し殺し、咀嚼する。シットリとした舌触りに、崩れていく食感は確かに感じる。……けれど、味はしなかった。
　なんで？　こういう時は美味しいはずなのに。どうして味がしないの？
　今度は大きく切り、口いっぱいに頬張る。全神経を舌に集中させて味を知ろうとするが、やはり鳴の舌は何も教えてくれなかった。
　久雨が不思議そうな顔をしている。けれど、何を言って良いのか分からない。

　どうして味がしないの？
　美味しい食事を諦めてたから、完全に味を感じなくなっちゃったの？
　味のしない食事に慣れたなんて、嘘。
　一人きりの食事に慣れたなんて、嘘。
　あたしはちゃんと美味しいものが食べたい。
　誰かと、一緒に……っ！

「あの……大丈夫？」
　はっと顔をあげれば、金髪の可愛らしい女の子が心配そうな顔で鳴を見ていた。どうやら先ほどの光景は、夢のようなものだったらしい。
「私、二組の北原みゆきって言います」
「四組の、仲村渠鳴……」
「鳴ちゃん、凄く顔色が悪いですけど、大丈夫ですか？」
　大丈夫と言いかけて、空気を舌の上で転がす。当然空気に味はないけれども、何だか無性に美味しいものが食べたくなってきた。この舌が、まだ大丈夫なのかも確かめたい。
「ねぇみゆき、もしこの後何も予定がないなら、あたしと一緒に何か食べに行かない？」
　みゆきが目を丸くし、迷ったように視線を足元に落としてから、控えめな笑顔を浮かべる。
「私で、良いなら……」