Mon seul Tresor｜リアクション

Mon seul Tresor

　小物入れの中に入れていたはずのヘアピンがなくなっているのに気づいたのは、帰宅後だった。ヘアピン専用の小物入れをひっくり返し、近くに落ちていないかと周囲を確認したが、やはりいくつかない。
　なくなっていたヘアピンは三つ、デザイン自体は違うものの、全て桜のモチーフがついたもので、姉達からもらったお下がりだった。
　流石に花のモチーフは女の子っぽすぎるからと、あまりつける事はなかったが、春らしくて可愛い桜のヘアピンは望春のお気に入りだった。

『桜の花は春の花だから、春ちゃんのほうが似合うよ』
　そう楽しそうに言っていた姉の声を思い出す。他の姉も、同じ様な事を言って望春に桜のヘアピンをくれた。小物入れの中で咲く桜のヘアピンは満開で、まさに春と言った明るさに包まれていた。

　姉達から初めて貰った物だから、今までずっと大切にしていたはずなのに、何故無くなってしまったのだろう。いつ無くしたのかも思い出せない事が、望春の心をチクチクと刺激する。
　ヘアピンを無くしたと言ったら、姉達はどう思うだろうか。怒るだろうか？　悲しむだろうか？　それとも、望春にヘアピンをあげた事自体を忘れてしまっているだろうか？
　怒られるなら、まだ良い。でも、悲しませるかもしれないと思うと心が痛む。
　制服を隠されて姉のお下がりの制服で登校をする事を要求されたり、そもそも普段から女装を押してきたり、何かと望春を男の娘へと引っ張ろうと画策していて、苦手意識のある姉達だったが、悲しませたいとは思わない。
　いっそ、忘れていてくれたら良いのにと思う。前に貰った桜のヘアピンなんだけど……と切り出す望春にキョトンとした顔を返してくれるなら、それでも良い。いや、それはそれで心の奥にモヤモヤしたものが広がるけれども。
　望春自身にもよく分からない、言い表せない感情が心の中でぶつかり合い、どうしようもなく心を波立たせる。
　姉から貰ったヘアピンを無くした。言葉にしてしまえばそれだけの事で、こんなにも不安や苛立ちに押し潰されそうになるなんて、思いも寄らなかった。無くして初めて気付いた感情に、無くしてからでは遅いのだと言う冷静な思考が覆い被さる。
　何だかんだ言っても、結局のところ望春は姉達が ――。

　唐突に戻って来た世界に、望春は鞄を掴むと姉達と住む自宅に向けて走り出した。シーサイドタウンを走り抜け、猫又川を渡り、旧市街地にある一軒家を目指す。
　玄関を走り抜け自室へと入ると、ヘアピン専用にしてある小物入れの中を確認して、ほっと安堵の息を吐いた。桜のヘアピンはちゃんと小物入れの中で咲き乱れており、初夏でも変わらず春の艶やかさを纏っている。
　髪を留めていた蝶のヘアピンを取り、桜のヘアピンを一つ指先で掴む。折角だから、今日はこのヘアピンをつけて過ごそう。
　ポケットから取り出したラムネ味の飴を口に入れ鏡の前に立つと、ピンク色の桜の花を髪に飾る。
　姉達は、気付くだろうか。いや、きっと気付かないだろう。……特に一人、絶対に気付かないと断言しても良い姉がいる。でももしかしたら、他の姉達は気付いてくれるかもしれない。意外と鋭いところがあるから、望春の表情から何かを察してくれるかもしれない。
　ヘアピンのことを聞かれたら、なんて言おうか？　望春にプレゼントした事を覚えていたら、なんて言おうか？　グルグルと考え、望春はふっと口元を緩めた。さっきから、姉達の事ばかり考えている。
　結局のところ望春は姉達が大好きで、大切だった……。