過ぎ去りし想い｜リアクション

過ぎ去りし想い

　ラッセルは晴月を探すことをあきらめたのではない。
　だがラッセルは晴月を探すよりも、山寺へ急ぐことを選んだ。そこに最後の希望があると確信していた。
　ラッセルは走った。走りつづけた。息はとうに切れ、肺は焼けるように痛み、未舗装の山道をゆく膝は悲鳴を上げているが止まらない。汗でびっしょりだ。それでもラッセルは走った。腕を振り、歯を食いしばって走りつづけた。
　木の根に足を取られ倒れる。とっさに手をついたが唇を切った。土と血がまじりあった錆び臭い味が口中に広がる。だが口をぬぐうことすらせずすぐに立ち上がった。
　仮に晴月を見つけたとしても。
　晴月の言葉が正しければ俺、何もできないかもしれない……！
　晴月が残したあのつたない書き置き。震える文字で綴られた別れの言葉を、ラッセルは必死に読み解いた。
　寝子島から神魂が消えたせいで、俺のような『もれいび』は『ろっこん』を失った。
　晴月にも同じ運命が迫っている。だが、飛べなくなるなんて程度の話じゃなかったんだ。
　晴月は風の精、といってもそれは、種族としてずっとあったものではなく、神魂が気まぐれに生み出しただけのものかもしれない。
　おそらく、そうだ。
　神魂がなければ、存在そのものが消えてしまう程度のもの。そういうことなんだろ！？
　そんなのってねえだろ！　ひどすぎないか！
　俺はうかつだった。どうして気づけなかったのか。
　晴月と同居できる喜びに浮かれ、気づくべきサインを見逃してしまった。
　このところの晴月の目、言葉少なになった事実、無理をしているような笑顔。
　その全部が、力を失っていってるって証だったのに！
　俺は。
　俺は、自分のことしか考えてなかった。
　晴月の苦しみを。消えゆく恐怖を抱えながらも、とりつくろっていた空元気を――気づくことさえ、できなかった。
　ナターシャさんに教わった道順、覚えている。
　晴月を救える可能性をもつ人間がいるとすれば――。
　それは、九夜山の奥深くにひっそりと生きる老僧だろう。
　ナターシャ・カンディンスキーという女性が、僧の存在をラッセルに語ったことがある。
　一清（いっせい）というらしい。古い鐘の音のように低く響き、消えずに残る名だと思った。
　一清は晴月を一目見ただけで『導手（みちびきて）』であると見抜いたという。死にゆく人間の、息を引き取る手助けのできる存在だと。一清なら神魂の秘密も知っているかもしれない。晴月の消滅を止められるかもしれない。そのかすかな希望だけがラッセルを突き動かしていた。むろんその可能性は、昼とて暗い山道のようで、ともすれば見失いそうなものでしかなかったが。
　しかし、たとえ絹糸のように頼りない希望だとしても、つかんで離したくなかった。
　崩れかけた土塀が目に入った。寺だ。
　山門をくぐり寺に駆け込む。横戸をひらいて玄関先に飛びこんだ。
「誰かいませんか！」
　無礼は百も承知だ。喉も裂けよと大声を上げた。
「一清さん！　俺の話を聞いて下さい！」
　人の気配があった。
「何か」
　まもなく老僧が姿を見せた。
　空気が、変わった。

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