「じゃあ今日は、大学っつてもオリエンテーションだしすぐ帰ってくるから」
靴を履きながら
桜井 ラッセルは言った。
「うん。いってらっしゃい」
玄関口の壁に、
風の精 晴月は片手をつく。
「まっすぐ帰ってくるな」
「いいよ。せっかくの大学初日でしょ。サークルの勧誘とか、見てくればいいのに」
「……なあ晴月」
ラッセルは表情を曇らせた。
「うん?」
「体調、よくねーのか?」
「まさか? 元気だよ、元気元気っ」
晴月は両肘を水平にあげてアピールするのだが、その仕草はむしろ、ラッセルの懸念を深めるばかりだ。
「だって……こっち越してからずっと、晴月、元気ねーじゃん。夜なんてすぐに寝ちまうし」
それも別の部屋で、と思うも口には出さない。
事実、晴月は以前までの活気を失っていた。かつてはそれこそ、天真爛漫を絵に描いたようだったのに、最近ではむやみにはしゃぐことをしなくなっている。そればかりかエメラルドグリーンの瞳に、不安と疲労が影を落としているようにラッセルには見えた。
わかってる。
それって、俺たちが同棲をはじめてからだ。
「もしかして晴月、俺と一緒に暮らすのが嫌って――」
「
そんなことないよ!」
晴月が大きな声をあげたのでラッセルは身をすくませた。
晴月は目を怒らせ、両の拳を握りしめていた。手は震えており、目には涙すらにじんでいる。
「私、ラッセルと一緒に暮らせて最高に幸せ! だからそんなこと言わないで!」
「ごめん。いまのは取り消す」
一瞬でもそんなことを思った自分をラッセルは恥じた。
「俺も晴月と暮らせて最高に幸せだ。本当に」
「ありがとう。たしかに……ちょっと不調だけど、それとこれとは別だから!」
あっ、と声が出そうになったがラッセルはこらえた。
やっぱ調子よくないんだ。
晴月、自分で認めた。
やっぱ今日、マジさっさと帰ろう。サークル探し? そんなのいつでもできっだろ。
そういえばこのところ、晴月が飛ぶところをラッセルは見ていない。
俺が鳥に変身できなくなったから、晴月も遠慮してるのかと思ったけど。
最初は、俺に気兼ねする必要なんてねーのにとラッセルは考えたものだ。鳥になれなくなって、そばに晴月がいて、恋人同士としてすごせるこの日々のほうがずっと大切だ。『ろっこん』を失うことが、晴月の生活との交換条件だというのなら喜んで差し出す。
でも、そうじゃないとしたら。
どうしたんだろう。
晴月、病気とかなのか。
病気だとしたらどこに診せたらいいんだ。子どもなら小児科、妊婦なら産婦人科、でも妖精を診せる妖精科なんて聞いたことない……。
「ほら、もう時間だよ、ラッセル」
急がないと、と晴月は微笑した。腕時計に目を落とし、ラッセルもその事実を認める。
「とにかく今日、終わったらソッコー帰ってくるから」
「わかってるって」
「おう、行ってくる」
「待って」
晴月はラッセルの手を取りぐいと引くと、背伸びして両腕をのばした。左右の手でラッセルの頬をつつみこむ。
「はづ……」
「黙って」
目を閉じると晴月は、ラッセルに長い口づけを与えた。
ずっと後になっても思い出されるような、キス。
「あっ、えっと」耳まで真っ赤になってラッセルは言った。「じゃ、行ってくる、から」
「うん……行ってらっしゃい」
ラッセルを送り出すと、晴月は重い足どりで部屋に戻った。
両目から涙がこぼれ落ちる。しゃくりあげながらも、晴月は自分がすべきことを知っていた。
――さようなら、ラッセル。
震える手でボールペンのキャップを外す。ラッセルのスケッチブックから一枚をちぎりとり、机にむかって書きはじめた。
ラッセル、これをラッセルが読むころには、わたしはもういません。
ネコジマから、大きな力がなくなったようです。
なのでわたしは……もう……。
駄目だ。
あとからあとから涙があふれて、晴月はこれ以上書くことができない。
大好きだよ、ラッセル。本当に大好き。
でも私は、もうこの世界に存在できない。
衰えて消えるところ、ラッセルに見せたくないよ。
私が急にいなくなったら、ラッセル、きっと悲しむよね。だからお別れだけでも書き上げないと……!
◆ ◆ ◆
「わらわは、もうこの世界にとどまれんようじゃ」
自分の墓石にとまったカラスに、
九鬼姫は話しかけた。
墓に刻まれた文字は『
八幡 かなえ』、しかし九鬼姫は、その文字すら満足に読めない自分に気がついて慄然とした。視界がかすんでいるのだ。生前、強烈に視力が落ちたときよりなおひどい。
九鬼姫はすでに死者だ。
幽霊となって存在を保ってきたものの、神魂の終焉はこの世に彼女をつなぎ止める力の消滅を意味した。
「島から急速に力が失われておるんじゃ。非現実の存在には、ちときつい。もちろん残れる者もおろうが、わらわみたいに中途半端なのは消えるだけじゃて」
九鬼姫は力なく笑った。はらりと垂れた髪がひとすじ、口に入りこんだがかまわない。
カラスが、自分をを認識していないと悟ったのである。
「そうか。そちにはわらわが見えておらんのか。禽獣にすら認識されんようになったとあっては、いよいよ終わりのときじゃのう」
だが、やるべきことはある。
自分が、完全にこの世界から消えてしまう前に。
決意をこめて九鬼姫は奥歯を噛みしめた。
そしてまた、笑った。今度はもっとずっと大きな声で。
カラスがぎょっとした様子で慌てて飛び立ったからだ。視力も戻った。墓石も読める。
「見たか! 気合いをこめたらこの通りぞ! 気合いがあれば! なんでもできる! というのは、かの貞山公(伊達政宗)の言葉であったかのう。まあ漫画で読んだだけの知識じゃから正確かどうかは知らんが……って」
おーい、と九鬼姫は言う。
「行くなカラスよ。なあ、戻ってこい」
空を見上げる彼女の頬を、涙がつたった。
「……わらわを置いていかんでくれ」
ふたたび視界は、かすみのようにぼやけていた。
ここまでお読みくださりありがとうございます。マスターの桂木京介です。
桜井 ラッセルさん、ご登場いただきありがとうございました。
ご参加の際は、シナリオガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。
お待ち申し上げております。
背景
本作は『ねこぴょんの日』の直後、すなわち1372年3月から4月上旬あたりをイメージしたシナリオです。
神魂はこの世界からなくなりました。
もちろん一部は残っていますが、フシギなキャラクターをこの世にとどめるには力が足りません。
本作シナリオガイドに登場したNPCはとくにその影響が顕著で、存在の危機にさしかかっています。
ただし、消滅を避けられないと決めているわけではありません。ガイドには記していませんが、なんらかの『碇(アンカー)』を得ることができれば、とどまることができると考えています。(※これは桂木京介の独自設定です)
概要
タイトルから連想できる内容であれば、特にアクションは限定しません。
時期だけは『ねこぴょんの日』の直後~4月上旬にしてくださるようお願いします。
参照シナリオについて
これまで進めている物語があり継続をご希望される方は参照シナリオ(2シナリオ以内でお願いします)とその該当ページを教えていただけると大変助かります。
桂木京介が書いた話でも私は忘れている可能性が高いのでご協力よろしくお願いいたします。
NPCについて
故人など例外はありますが基本的に制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
※特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるよう努力をします。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、恋人同士だったが「一緒に町を出よう」という約束を守りきれず彼は彼女を見送るなど)を書いておいていただけると助かります。
それでは次はリアクションで会いましょう。あなたのご参加を真剣にお待ちしています!
桂木京介でした!