【たそがれ】

　夜明けか黄昏れか、曖昧な空色が嵐の終わりを告げていた。姿見にもはや星はまたたかず、ふたたび"Lore"がやってくるまでひとときの猶予を得た。吾輩もまた旅へ出ることになろう。連中に抗うべく屈強でフレッシュな面々をスカウトせねばならない。時がくればふたたび、寝子島の者らにも助力を願うことになるだろう。
　出会いを経れば別れもおとずれる。ふたつは常にひとつであり、遠大な時の流れの果てであるか、それともほんのひと時の逢瀬となるのかは定めというものだが、往々にして寝子島の友らとは短い付き合いとなりがちだ。
「綾辻さん。大丈夫かい」
「はい……」


　綾辻は早川の腕に抱かれしばし、こぼれ落ちそうな心をこらえているようなそぶりであったが。そのうち目尻を拭うと早川とうなずきあい、吾輩へと目を寄せた。
「ペンシル……本当の姿が、おヒゲの似合う紳士だとしても。私にとってはかわいいにゃんこであることに、変わりありませんから」
　そうささやき吾輩を抱き上げ、つややかで高貴なる毛並みに鼻先を埋め堪能する。
「また、会いに来ますから」
　通じぬと分かっても、答えておくとしよう。魔法商店街への道は開かれている。吾輩の姿がそこにあるならば、撫でるなり抱き上げ愛でるなりすればいい。拒むことはなかろうさ、よほどに不機嫌な時を除いては。



「まあ、なんやな。よーやったと思うで、あんたらも」
　山田 エレキもいつもの調子を戻したようだな。愛想がなく仏頂面だが、その裏に隠れているものがひょっこりと顔を出す瞬間を、諸君らも見てきただろう？
「いろいろあったけど……大変だったけど、街を守れて良かったよ」
　安堵し言った志波もそのひとりであるはずだ。彼の屈託ない笑み、差し出された手を照れたように握り返したのを見るに明らかだろう。
「本当にいろいろなことがあったね」
「ええ。山田さんといっしょに遊んだゲーム、けっこう楽しかったわよ？」
　城山とヒューバートのかたく結ばれた手と手を、山田はどこかまぶしそうに見つめたものだ。


「ふ……せやな。あれはようできてた」
　共有する記憶があるなら、いつかまたたがいを思い出せる。それに、今生の別れというわけでもない。
「なあ、あんたら。『Sturm（シュトゥルム）』のアカウント、持っとるか」
「え？」
　今はインターネットの時代だそうだから。寝子島だの霊界だの、場所にとらわれる必要はもはやないのだ。
「フレンド登録、送ったるからさ」



　倉前とブラックウッドを眺める夕顔 サキの瞳はおだやかだ。彼女には頭が下がる。これでも迷惑のかけどおしだという自覚はあるのさ。
「やれ、ひとごこちついたね。感謝するよ」
「大したことなかとですよ、サキ。ね、ウォルターさん」
「そうだねえ。なんだかもう、いつものことって感じだよねえ」
　笑い合う彼らの、なんとも頼もしいことだ。風のように自由で大地のようにしたたかで……霊界にない気風をここへと運びこむのはいつだって、彼らのような者たちだ。
「サキのお店は、寝子島とつながってるんですよね。またここに来れますか」
「ああ、その気になりゃ……あんたらが砂まじりのかわいた空気にうんざりしてなきゃ、いつでもね」
「次はお茶の一杯もごちそうしてもらおうかなあ。ね、倉前」
「そうですね。お茶菓子を作ってきますから」
「ああ、そいつは楽しみだね」
　また彼らは『たそがれ屋』を通じ、出会うだろう。なに、占うまでもないことさ。



「……犬塚さん」
　姿見にもたれたたずむ彼を稲積が見つけ、駆け寄った。
「ふん。お前かよ」
「もしかして、白檀さんのこと、考えてた？」
　たずねればつまらなさそうに鼻を鳴らす。彼は山田を数倍もひねくれさせ、ブラックウッドのユーモアやウィットをそぎ落したような男だが、知ってのとおりいいところがまるでないわけじゃない。味もそっけもない男たちより、よほどに味わい深いというものさ。
　それに犬塚とヤツの境遇にはいくらか重なるものもあっただろう。
「俺があのヤローと同じ立場だったなら。俺があの時、あの子を……」
「犬塚さんはそんなことしないよ」
　根拠も脈絡もない言葉ではないと、犬塚にも分かっただろう。稲積のこの瞳だ。彼も何度も見てきただろうからな。
「犬塚さんなら大丈夫。絶対に」
「はん」
　犬塚は稲積の髪にそっとふれ、おそらく稲積が初めて目にするだろう、薄く笑みを浮かべて言った。
「センコーと仲良くな。泣かされたら俺を頼れ。ブン殴って目え覚まさせてやるからよ」



　『たそがれ屋』の軒先にみなが集う。かん高く鳴くような風は寂寥をさそったが、今日ばかりはその響きも複雑だ。いくつもの記憶、いくつもの思い。交錯するのは結ぶ瞳ばかりではない。
「ふたりで街を歩いたよね」
「うん。素敵だったね」


　初瀬川と佐和崎が名残り惜しく街並みを眺める。
「いろいろ、おみやげも買ったもんね」
「うん。あとでお部屋に飾ろうね」
　ああ。そういえば語ったことがあっただろうか。なぜここを商店街としたか。なんら誇るところもない、無味乾燥とした砂塵まみれの街をいったい誰が守ろうと思えるだろうか？　吾輩はここを、愛おしく思える場所にしたかった。あやかしもひとも、異邦人もみなが揚々と行き交い、華やかで活気に満ち、住む者の誇りを刺激する街としたかった……それがはたして成功したかと問われれば、周りを見てくれとしか言いようもないわけだが。
　まあ、そう悪くはないと思っているのだがね。
「それじゃ……そろそろ行くとしよう」
　八神の言葉とともに、彼らは去りゆく。またあの静寂と平穏が戻ってくると思うと安堵し、それ以上に耐えがたい虚無が襲いくる。いつものことだ……吾輩は駆け出していた、舌をたらし毛を乱し、みっともなく跳びはねながら。
「ペンシル。見送ってくれるのか」
　我ながら魂の変質の魔法の完璧さを実感する。いつでも紳士たらんとつとめながら、このように抱き上げられれば、まるで愛玩猫になった気分だ。あくまで気分だがね。
「ありがとう。また会おう」
　今はこのぬくもりを、素直な心持ちで享受することとしよう。



　そういうわけで、諸君と吾輩とゆかいな仲間たち、迷惑な寓話とすばらしき魔法をめぐる物語はこれにてひとまず閉幕だ。少しは楽しめたなら幸いだよ。ああ、杖は記念品として持ち帰ってくれて構わない。寝子島では無用の長物だろうが、思い出を想起する役には立つはずだ。
　なお諸君には特典として、我が魔法商店街でのショッピングにともなう、恒久的な割引サービスをご利用いただける。
「と、ペンシルは言うとるよ」
　……感謝する。
　星というのはめぐるものだ、どんな星でも、いつでもな。良くも悪くもそれが摂理というものだ、だから……また会おう。友らよ。

＜ヒゲ猫ペンシルと魔法商店街の奇妙な面々　おわり。＞