倉前 七瀬にとって、本を抱えて散歩をするのはいつも通りの習性（？）である。活字中毒の七瀬にとっては、本を持ち歩かない事は時に服を着ないのと同じくらい落ち着かず――ゆっくりと読書の出来る場所を見つけたら、それは砂漠の中のオアシスを見つけた心地といってもきっと、過言ではないだろう。
　ゆえに今日も七瀬は本を抱えて、ポカポカと暖かなお花見日和の街中を、のんびりと歩いていく。街のあちこちには満開に咲く桜の花が綺麗に揺れているし、道沿いの家の庭にも春の花が可憐に揺れているのを見るにつけ、ふわふわと気持ちが高揚していくのを感じた。

（お花見日和の、よいお天気ですねぇ？）

　塀の上で大きく伸びをして、ふわぁ、と欠伸をする黒猫に目を細めながら、そう思う。見上げた空は抜けるように青く、時折ひらひらと桜の花びらが飛んで行くのが見えて、何だか風流で贅沢な気持ち。
　嗚呼、と思った。

（どうせなら、お花見できるところに行きたいですねぇ）

　今日もいつものようにゴールを決めず、ふらふらと歩いていた七瀬だけれども、飛んで行く桜の花びらにそう考える。といって、お花見スポットと呼ばれる場所はどこもかしこも混んでいるだろうし――と少し考えた七瀬はとりあえず、花びらが飛んできた方を目指して歩いてみる事にした。
　あわよくば、桜の咲く――そして出来ればあまり人が居なくて読書のしやすい――公園があるかもしれない。なくとも、心当たりは他にも幾つかあるので、そのどれかに向かってみれば良いだろう。
　そう、心に決めて七瀬は黒猫に手を振ると、風と花びらの源を探して歩き始めた。と、少し行ったところで暖かな春風にそよぐ『花見だんごあります』というのぼりと、その横に品よく佇む団子屋さんについ心惹かれてしまい、ぴたりと足を止める。

（お花見だんご……よかですねぇ……）

　どんなもんでしょ、とまずはそぅっと覗いてみれば、たんと積み上げられた三色のお花見だんごが目に入った。その横にはつやつやと美味しそうなあんだんごにみたらしだんご、きびだんご、他にも生クリーム串団子やずんだ団子、名前が判らないが美味しそうな串団子など、数種類が並んでいる。
　よかですねぇ、ともう1度胸中で呟いた時には七瀬は、店内に足を踏み入れていた。人の良さそうな店員さんが、朗らかに尋ねる。

「お求めですか？」
「はい。えぇと……お花見だんご、と、きびだんごと……」

　それにこくりと頷きながら、気の向くままに注文を告げて行けば、思っていたよりたくさんになった。仕方ない。美味しそうなお団子が、そこにたくさんあるのがいけない。
　ありがとうございました、と渡されたビニール袋のずっしりとした重みにそう、七瀬は自分に言い聞かせる。否、ついつい欲張ってちょっと――大分沢山買ってしまった自覚はあるけれども、やっぱり美味しそうだったのだから仕方ない。
　ゆえに七瀬はビニール袋の美味しい重みを感じながら、今度はお店で教えてもらった桜の美しい公園を目指して歩き始め。教えてもらった通りの、ちょうどよく人気の少ない、桜の美しい公園を見つけた七瀬は、するりとそこに入り込んだ。
　ベンチは3人掛けのものが、入り口付近に1つ、奥に1つ、園内で1番大きな桜の木の下に1つ。やっぱり桜の下がよかですね、と満を持して桜の下のベンチに座り、ビニール袋を傍らに置いて――ほぅ、と桜を見上げた。

「はぁー……春ですねぇ……」

　頭上に差し渡した桜の枝の向こうに見える、良く晴れた空の青が目に眩しい。五月雨のようにはら、はら、はら、と舞い落ちてくる桜の花びらが、時に風にあおられて空高く舞い上がって行ったり、地面でくるくると風に踊っているのも目に楽しく、美しく、雅やかで、儚い。
　しばし、その儚くも力強い光景を眺めていた七瀬は。――やがて抱えてきた本を思い出し、そのうちの1冊をパらりと開いた。
　今日の読書に選んだのは、桜の季節を巡る複数人の作家が手掛けた短編で構成された単行本。ミステリーからSF、ラノベまで『桜の季節』というテーマで一見雑多にまとめられた本は、だが通して読めばそこに編集者の作り上げたかった世界が垣間見えるような気がして、知らず知らずのうちに引き込まれているのが痛快だ。
　ゆえに黙々とページをめくっていた七瀬の意識を、はらり、舞い落ちてきた桜の花びらが現実へ引き戻した。おや、とその1枚を指先で拾い上げる間にも、次から次へとはら、はら、はら、と花びらが舞い落ちてきて、開いた本の上にふわりと着地する。
　それらを七瀬は丁寧に1つ1つ拾い上げ――ふふり、と微笑んだ。はたから見れば『花より団子』ならぬ『花より活字』と笑われるかもしれないが、七瀬にとっては『花も活字も』なのである。
　ゆえに桜の花びらを優しく掌に納めながら、再び活字を追おうとして――

「おやぁ？　僕の事は無視かい、七瀬？」
「――へ」

　ふいにかけられた声に、ぱちり、目を瞬かせた。今度こそ現実に完全に意識を引き戻され、眼差しを向ければそこに居たのはウォルター・B――何が起こっているのか一瞬本気で判らなくなって、あれぇ、と首を捻る。
　ぱたん、と手の中の本を閉じて。

「おや、ウォルターさん奇遇……じゃないですね。僕がお呼びしたんでした」

　そう、言いかけた七瀬はようやっとその事実を思い出し、はは、と頬を小さく掻く。先刻お団子を買った時に、教えてもらった公園をスマホの地図を確認しがてら思い立ってウォルターに、『お忙しくなければ、一緒にお花見どうですか？』というメッセージを送っていたのだ――もちろん、この公園の地図も一緒に。
　送ってはいたけれど、半ばは期待していた訳ではなかった。学校の用事もあるかもしれないし、私用もあるかもしれないし――それでももし来てくれて、会えたら嬉しいな、という思いと願いを込めたメッセージ。
　まさか、それに本当に応えて貰えるとは。――七瀬の胸にじわじわと、喜びが広がっていく。
　その喜びのままに七瀬はほわりと笑み綻んで、座っているベンチの空いている場所をポンポン叩いた。

「それじゃあ、一緒にお花見しましょうか！」
「はい、お邪魔するよぉ。あぁー……うん、こういうのも良いよねぇ」

　それに頷きベンチに座った、ウォルターが先ほどの七瀬と同じように頭上の桜を見上げ、ほっとしたように目を細めるがのなんだか嬉しい。だから七瀬も同じ空を、また一緒に見上げ――しばし桜を楽しんでから、買っておいた沢山のお団子を「ささっ」と取り出す。
　ずらりと並んだ様々なお団子に、ウォルターが目を丸くしてから、ぷはっ、と笑い出した。

「七瀬、ずいぶん買ったねぇ」
「へへ……美味しそうやったけん、つい。どうぞウォルターさん、どれでも好きなのを取ってください」

　そうして2人、缶のお茶を片手に乾杯をして。思い思いにお団子を楽しみながら、またのんびりと桜を見上げたり、読みかけていた本の話を取り留めもなく話したり。

　それは――ひどく穏やかで、幸せなひと時。綺麗な花、気持ちの良い活字、美味しいお団子――大好きな人。
　知らず知らずのうちに顔が綻んで戻らないのを自覚して、けれどもその嬉しい気持ちを隠すつもりもなく七瀬は、ウォルターさん、と幸せに彼の名を呼んだ。

「ウォルターさん、桜、綺麗ですね」
「うん、綺麗だねぇ。本当に、良い季節だ」

　それに、ウォルターも目を細めて応えてくれるのにまた、幸せを噛み締めた。