行方知れずの夜｜リアクション

行方知れずの夜

　あてどもなく夜を歩いた果てに行き着いたのは、猫又川に架かる橋の上だった。
　もたれた欄干から見えるのは、河口を渡る鉄道橋。
　橋を渡る電車はとうに尽きて、今は外灯の橙色した明かりだけが線路を照らし出している。
　橋の向こう、暗く広がる川面を見遣る。河口近くにある寝子電スタジアムも、遠くに見える大観覧車も、深夜のこの時間は月の光の静寂に照らされるばかり。
「遊んだねぇ」
　くすりと笑ったウォルターが大きく伸びをする。
「結構歩いたよねぇ」
「そうですね」
　頷きながら、七瀬は星月の光を映す暗い川面を、その上を渡る鉄道橋を眺めやる。鼻先に触れるマフラーから、ウォルターの匂いがしている。
(……この夜が終わらなければ)
　ウォルターとずっと一緒に歩いて行けるのに。
　神魂によるフシギ現象が起これば、とつい願う。
　たとえばいつか読んだ本のように、どこまでも続く線路を走る電車にふたりで乗り込んで流星の空をずっとずっと一緒に行けたらいいのに――
　七瀬は小さな息を零す。
　それは起こりえない未来であると知っている。
　たとえそんな列車に乗ることができたとしても、ウォルターはきっと旅のどこかで己の手を引いて笑う。
　――そろそろ戻ろうか、七瀬
　おっとりのんびりと、きっぱりと、そう言うのだろう。
　過去に縛られながらも、それでも今を生きようと足掻く。ウォルター・Ｂはきっと、そんなひとだ。
「ウォルターさん」
「うんー？」
　聞きたいことがたくさんあった。
　けれど、今夜はひとつだけ。
「ウォルターさんの特別の中に、うちは入っていますか？」
　好き、としか言い表せないひとと、今はただひとりきりの『好きなひと』と、まっすぐ向き合う。静かに問いかける。
　言葉で返してくれるだろうか。
　はぐらかされるだろうか。
　思案するように黙するウォルターの手をゆっくりと取る。容易く振りほどけるほどの力で、両手で包み込む。
「なんとも思っていないなら、」
　そっと、薄いてのひらに唇を落とす。
「僕のことどうか嫌いになってくださいね」
　それが懇願を示す仕種であるとも知らず、けれど懇願じみて囁く。　
　冷たいてのひらが僅かに動いて、指先が頬に触れた。ぎくりと顔を上げる七瀬の指を、ウォルターは掴む。
「僕はねぇ、七瀬」
　口にすることを躊躇うように、ウォルターは川面に光を落とす鉄道橋へと視線を逸らした。
「ヒーローになりたかったんだよねぇ」
　けれどなれなかった。それどころか――
「それなのに心の底では未だにしつこく願っていて、」
　伸ばされた手をこれ幸いと掴むのだ。傲慢だの贖罪だのと自虐しながら、己の望みを叶えるために。
「……僕は、浅ましい人間なんだよ」
　若者のまっすぐな好意を利用して、己を救おうとしている。
「だからねぇ、七瀬――」
　言いかけた唇が途中で止まる。不意に勢いよく抱き着いて来た七瀬の身体を受け止めながら、ウォルターは瞳を伏せた。
「七瀬が僕を嫌いになってよ」
「うちはウォルターさんが好きです」
「七瀬、」
「今はそれしか言葉を知らんですけど、……」
　ウォルターの肩や首筋にぐいぐいと頬を押し付けながら、七瀬は繰り返す。
「うちが好きなのは、ウォルターさんしかおらんのです」
　魂が萎んでしまうような悲しい息を漏らすウォルターの肩越し、鉄道橋を渡るまぼろしの列車を七瀬は願う。
　音もなく空へと渡った列車が重なり連なる星々の波間へ昇り、消えてゆく――

このページにイラストを設定する

あとがき

担当マスター：阿瀬春
ファンレターはマスターページから！

　このたびはプライベートノベルのご依頼、ありがとうございました！
　夜デートノベルのお届けです。

　あてもなく歩いての夜遊び、ここはどうかしらあちらはどうかしらと色々考えながら楽しく書かせていただきました。
　お楽しみいただけましたら幸いです。七瀬さんを、それからウォルターさんを、それぞれにふたりらしく描けておりましたらと祈るばかりです。

　ありがとうございました！

↑ページトップに戻る