行方知れずの夜｜リアクション

行方知れずの夜

　煌々と電気の点き続けるコンビニの前を過ぎる。深夜営業中の居酒屋やスナックの電光看板が眩しい雑居ビルを横目に、『closed』の札が掛かった雑貨屋のそこだけランプの灯りに照らし出されたショーウィンドゥを眺める。
　どの瞬間にも隣にウォルターが居て、どの瞬間も心がふわふわと温かかった。
「七瀬」
　夜の街をあちらこちらと興味深そうに眺めていたウォルターの足がふと止まる。晴天の空より深い青の色した瞳が玩具を見つけた少年のように輝く。
「入ってみよう」
　長く白い指が指し示すのは、古びた壁に見慣れぬ映画のポスターが並ぶミニシアター。カフェの入口のようにも見える回転扉の奥、ピカピカ光るネオン管で記された『trip cinema』の文字。
「映画館、ですか……？」
「夜遊びっぽいよねぇ」
「なるほど、夜遊び……」
　満足そうに頷くウォルターの後を追い、回転扉を潜る。
　館内に入った途端、古い書籍のような甘い匂いがした。
　狭い廊下に敷かれた赤い絨毯の匂いなのか、それとも廊下の壁にほとんど隙間なく貼られた映画ポスターの匂いなのかと周囲を見回しているうち、
「もうすぐ始まるって」
　窓口で手早く手続きを済ませたウォルターにチケットを渡される。
「しまった、代金は僕が――」
「いいからいいから、急いでねぇ」
　財布を探ろうとする背中をぱたぱた叩かれるまま、廊下の奥にある上映室入口の扉へ進む。
「シネコンは甘いポップコーンの匂いがするけど、ここは古い建物の匂いがするねぇ」
「古い本の匂いと似てます」
　歩きながら館内を見回して笑うウォルターと同じ感想を抱いていたことが嬉しくて、七瀬は大きく何度も頷いた。
　分厚い防音扉をそっと押す。足元がどうにか見えるほどの仄暗い上映室内を、ウォルターの背を目印に辿る。
　席数は百に満たない上映室にほとんど客の姿はない。
　貸し切り状態の席の真ん中にふたりで並んで座る。
　ほどなく上映開始を告げるベルが鳴り、室内の灯りが落ちる。真っ暗闇になったかと思えば、正面のスクリーンがパッと眩しくなった。
　映し出される海の街の景色を眺め、ちらり、横目に隣のウォルターを盗み見る。
　白い光に照らし出された青い瞳も、端正な横顔も、なにもかもが見惚れてしまうほどに美しかった。
　海の街に暮らす猫と人々の静かな日常を描いた映画だった。
　青空に続く坂道を少女が駆ける。先を行く青年の背を追いかける。
　足音に気づいた青年が振り返って見たのは、海を背負って笑う少女。
『――好きだ』
　どこか困ったような苦し気な表情で青年が囁いて、
　――知ってる
　七瀬が思い出したのは、同じ言葉をウォルターに告げたときの彼の返答。
(あのときは、)
　好きでいることを許してくれるようで嬉しかった。けれど今は、
(……ズルいな)
　そう思う。
　だって返答のようで返答ではない。
(結局、ウォルターさんは僕のことなんだと思っとるんでしょうか)
　一度考え始めてしまえば止まらなくなった。
　たとえば今日初めて話をした女の子とその場で盛り上がって、彼女に誘われるままに合コンを抜け出して、夜の街を遊び歩くことになって。
　ウォルターからの電話にも気づかず、気づいたとしても掛け直すのも後回しにして、後日彼女とふたりで遊んでいたと報告したとしたら。
　――よかったねぇ
　途端、いつも通りの笑顔でなんでもないように言い放つウォルターの姿が思い浮かんだ。
　――じゃあねぇ
　ひらひらと手を振って何事もなかったように離れていく背中まで想像してしまって、七瀬は思わず息を詰める。そんなことになったら、そんなことをされてしまったら、
(とても、さびしい)
　想像のはずなのに、瞼の裏がじんと熱を帯びる。鼻の頭がツンと痛む。
　スクリーンの中では猫がじゃれあう場面なのにうっかり涙目になってしまいそうで、七瀬はぎゅっと瞼を閉ざした。
(うちだってずっと、ウォルターさんのこと見とるのに)
　それなのに、どうして。
　考えるうちに寂しさが腹立たしさに変わって来て、七瀬は膝に置いた手をぎゅうっと拳にする。沸き起こった気持ちを静めることが出来ず、うっかり隣のウォルターの楽し気な横顔を睨んでしまって、はたと気づいて焦る。
　ごしごしと頬を擦る。
(違う違う、)
　これはただの想像だと自分に言い聞かせながら、それでも胸の寂しさも悲しさも消えてくれなかった。だって、
(ずっと、ウォルターさんのこと見とるから)
　想像のウォルターも、当たらずとも遠からず――なのかもしれない。

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行方知れずの夜

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