もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

私が水着に着替えたら・２

　そういえばプールサイドで紫苑が身につけているのは、あのポスターで彼女のグラマラスボディを包んでいた、つやめくブラックの水着です。きわどいセクシー水着も紫苑の美肌も、太陽のかがやきを照り返して、つやっつやです。
「これ、試着はしたけど買わなかったのですよね。そのときはほかの水着が気になっていて……」
　あらためて着てみると、かわいくてセクシーで、やっぱりあの時買っておけば良かったかも？　なんて。
「まあ、胸とおしりが少しきゅうくつですけれど」
　スタイル抜群はいいけれど、なかなかサイズの合う服が見つからないのがちょっぴり、お悩みではありました。
　かわいい、と紫苑が評するところの色気たっぷりな服や衣装は、今となっては美味しいものを食べることと同じくらい、紫苑にとって元気のみなもとです。愛らしい服に身を包めば心までも軽くなりますし、ドレスをまとえば優雅で穏やかな心持ちにもなれました。胸元や足のラインがぱっくり、大胆に見えるものが紫苑のお好み。セクシー＝かわいい！　それが紫苑のスタイルです。
「今日はこれを着られて、嬉しいです。ありがとうございます、猫ちゃん」
　ふに？　と振り返った桜猫はちょっぴりおねむなのか、目をしぱしぱ。お昼寝モードです。
「さて、せっかくだから少しゆっくりしていきましょうか」
　紫苑のカンですけれど、もうしばらく、このひと時は続きそうな気がします。寝子島で暮らすもれいびならばいくらか慣れているものでして、なんとなーく分かりました。
　よいしょ、とデッキチェアから跳ね起きると、
「ふふふ。えーい！」
　清らかな水をたたえるプールへ、ぴょいんとダイブ！
　泳いで泳いでさわやか、いい気分。つかれたらプールサイドで美味しいドリンクをいただいたり、日光浴をしたり。ひょいと乗っかってきた猫ちゃんといっしょに、お昼寝したり。紫苑は突発的バケーションを思う存分、堪能しました。

　ぱちくり。目を開くと、ゴージャスなプールやお屋敷は夢まぼろしの向こう。大きな看板には紫苑の大胆水着姿の影も形もなく、ありきたりなコスメの広告に変わって、いいえ元に戻っておりました。
「……あ」
　紫苑の腕の中から軽やかに跳ねて、桜猫は華麗に地面へと降り立ちます。ふにゃあ、とまたひとつあくびをしてから、ついと紫苑を見上げて、
「楽しかったです。また、会えますか？」
　さあ、そのうちきっとね。じゃあまたね、なんてくるりと回り、しっぽの揺れを残してたったかたん。踊るような足取りで、街路樹の向こうの茂みを抜けていきました。
　不思議で、素敵なひと時でした。不思議で、のどかでほっとして、おだやかで、優雅で心弾むひと時でした。まるで売れっ子モデルのひと夏の休暇みたい。
　コスメの看板には紫苑に代わって、かわいらしい、ちょっと普通なイマドキの女の子といったたたずまいの女の子が、いささかぎこちない笑みを浮かべています。
　たとえば……と、紫苑は先ほどあのまぼろしのポスターにて、彼女の魅力にヤラれてしまった人々に取り囲まれた時のことを思い浮かべます。ひまひとつ羞恥心というものにとぼしい紫苑は、大胆に素肌をさらしても恥ずかしいということはありません。むしろあんなふうにたくさんの瞳に見られることは、心地よかった気もします。もしかしたら、モデルさんとかテレビタレントとか、紫苑には向いているのかも？
「あ、あの！　ねっねえ、そこの君！」
「？　はい、私ですか？」
　声をかけたのは、眼鏡をかけたスーツ姿の若い男性です。息を切らして、なんだか余裕がない顔をして、瞳にはぎらつく情熱を宿していて、なにか大きなことを成し遂げてやろうという決意に満ちた、そんな青年でした。
　あわてて駆けてきたらしい彼は荒い息を整える間も惜しいとばかりに、言いました。
「君、学生さん？　も、もしかして、もうどこかの事務所に所属してたり……」
「じむしょ、ですか？　いいえ、そんなことはありませんけれど」
「そ、それじゃあ！　君、芸能界に興味、ない！？　ぼ、僕の目に狂いがなければ、君はきっと……スターになれる逸材だ！」
　どこかで、にゃあお。遠く、にゃんこの鳴き声が聞こえたような気がしました。
「ど、どう？　僕といっしょに芸能界で、頂点を目指してみないか……！？」
　ふむっ、と紫苑はしばし考え込んで……そのうち、やっぱり、に～っこり！
「ふふ、それもすこうし、楽しそうですね♪　さて、どうしましょうか？　ふふ。ふふふっ」
　紫苑がどんな道を選んだのかは、まだ、ヒミツ。

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