もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

Everybody Packy!!・２

　人目はばかる間柄。学生のうちはウォルター先生、少なくとも人前ではぴしっと線引きを崩さず、よほどのことが無ければ目的達成は難しいことでしょう。責任ある大人との恋愛とはかくも大変なものでして。
「ずっとついてくるねえ」
「うん。ぜんぜん離れようとしないんだ」
　てってこ歩いて、気ままにマイペース。桜色の猫はごきげんにふたりのあとをついてきます。まあ全力猛ダッシュで引き離すこともできましょうけれど、そこまでしなくても、とも思います。なんたってにゃあふにゃあと愛らしいものですから、今日くらいは猫連れデートもアリかもしれません。
　とはいえ次の目的地はアロマショップ、入りまじる香りは猫ちゃんちょっぴりお好みでないようで、ぷしゅん！　とひとつくしゃみをした後、店の扉の外にこてんと丸くなりました。ふたりが出てくるまで待つつもりでしょうか。
「陽だまりでぬくぬくして、かわいいねえ。またナデナデさせてくれないかなあ」
「はいはい、それは後でね。今日は僕に付き合ってくれるんでしょ？」
　数日前にこのお店のことを知り、訪れてみたいと思っていました。柚春も普段から扱うようなアロマオイルやエッセンシャルオイル、ディフューザーの販売などにくわえて、こちらの店舗で重視されているのは、空間です。
「うーんと、どういうことだい？」
　ぽくりと首を傾げたウォルターさんに、柚春はぴ、と指一本を立てまして。
「アロマ空間デザイン、っていうのがあってさ。香りと空間をひとくくりにして考えるんだって」
「ふむ。いいニオイのする部屋ってこと？」
「それだけじゃなくて……そこにあるインテリアとか観葉植物とかの配置、あるいは壁や天井、床の材質に色、そこで過ごす人の存在。全部をひっくるめた上で、そこにふさわしい香りはどんなものか？　天然由来のアロマで満たすべきか、どんな原料を使った香りを選び、どんなブレンドにするべきか。どんな器具を使うべきか。その空間にベストな香りを選んで提案するんだよ」
「へえ～。ただいい香りを焚くだけ、ってわけじゃないんだねえ」
　よき香りはまるで上質で控えめにひびくバックグラウンド・ミュージックのように空間を満たし、暮らす人やおとずれる人々に自然な調和をもたらすのだとか。香りのプロを目指す柚春が今回、ぜひとも体験してみたかったアプローチでありました。
　そのアロマデザイン空間のモデルルームへ足を踏み入れてみると、なるほど。胸いっぱいに吸い込んだ香りはあくまでつつましくて、自己主張激しくくっきりはっきりと伝わるものではなく、どこまでも控えめな演出に徹する縁の下のちから持ち。それでいて柚春の鼻腔で感じるのは、たしかにこの香りを調えたひとの意思や意図。おもてなしの心意気。
「高級ホテルのエントランスのような……アニス。レモン、ライム。ユーカリ？　ブルーサイプレス……？」
「嗅いだだけで分かるのかい？　さすがだねえ」
　ほうっと彼が感嘆の吐息をもらすと、柚春の胸も満たされました。
「視覚でも味覚でもなくて。香りには、香りにしか伝えられない感覚があるんだなあって思う。僕が将来、どんなふうに香りと向き合っていくのか、どんな仕事をしたいのか、まだ分からないけど……参考になったよ」
「そうだねえ。香りがばっちり合っていると、こんなに居心地がいいもんなんだね。僕もなんだか、あたらしい世界を知った気分」
　うむっとうなずいた彼にくすりと笑んだ柚春。しかしながら実のところ、胸の内では少々違ったことも考えていたりしました。
　いわく。
（いまはほかに人もいないけど。残念ながらこの場所には、チョコの香りは合わないかな……）
　カバンにひそませたパッキーの出番は、もう少しあとになりそうです。