もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

雨のつづき・４

「……っていう夢を見たんです」
　お昼のえびドリアを頬張りながら語ると、珪さんはぱちぱち、ぱちり。目をまたたかせました。
　おしゃれなカフェで、ちょっと休憩。姿見は先ほどのお店で綾花の部屋へ配送を頼んだので、届くのが楽しみです。
「へえ、僕らの高校時代にね。それは不思議だね」
　ショートパスタをすくいながら、彼は興味深そうにたずねます。先ほどに見た少年の顔よりも大人で、落ちついてクールな微笑みで。
「でも、夢……だったのかな？　すごくリアリティがあったし、まるで本当に、目の前に珪さんとつるぎさんがいるみたいで……」
「で、僕はなんて言ってたんだい」
「楽しい、って言ってました。文芸部の人たちと、本の感想を言い合ったり。作品を見せ合ったり、批評し合ったり……そういうのがすごく刺激的だって」
「刺激的か、たしかにね。あの頃は毎日、退屈する暇もなかったよ」
「なんだか、少し……」
「うん？」
　綾花はそろりと手を伸ばして、テーブルの上の彼の指をつんつん。つつん、と触れながら、ちょっぴりふくれっ面。
「妬いちゃいました。あんまり楽しそうで」
「ははは！　そう見えたかい」
　彼は肩を揺らしてひとつ笑い、ついで静かに目を細めて、
「たしかにね。あの子たちには今思えば、ずいぶんと救われてたのかもしれない。つるぎちゃんの明るさにもね」
　思い出をたどるように、少し遠い目。
「ずっとふさぎ込んでいてね。高校に入学したあたりまで、あまり人と話した記憶がないな。でも文芸部に入って、いい先輩や後輩に恵まれて。たくさんの本に触れて。そうして僕は、少しずつ救われていったんだろうね」
　昔のことを、このところの彼は綾花へ隠さず語るようになってきたように思います。辛い思い出も、寝子高の図書室ではぐくまれた素敵な思い出も。これから生まれてゆくだろう、もっと楽しい思い出も。きっと彼は、全てを共有してくれることでしょう。
　だから、と彼は言いました。
「それは夢かもしれないけれど、きっと正しいよ。君は僕の記憶に触れたのかもね。この島はほら、時どき不思議なことが起こるから」
　彼がパスタをすくうのを再開すると、綾花もくすり、思い出し笑い。
「……ふふ。高校生のつるぎさんって、今より少しだけ、おしゃべりでしたね」
「ああ、そうかもしれない。ライトノベルにすごくハマってた時期だね。僕もずいぶん勧められたけど、残念ながらあまり趣味は合わなかったなあ」
　くすくすくす、と響き合いました。

　さああ、さああと。窓の向こうに降りしきる雨を見つめて、彼はけれどいつかのように物憂げな顔を浮かべることもなく。ガラスを伝い落ちる雫や灰色の薄雲を穏やかに、静かに、目で追っています。
　借りていた本を返すのに珪のアパートへ寄ると、部屋は小奇麗に片付いていました。几帳面に整えられた本棚に収められている書籍類などにはことに、彼の人柄が表れているように感じます。
「コーヒー、入ったよ」
「ありがとうございます」
　急な雨で、少しばかり雨やどり。けれど予定がつぶれて残念な気持ちは、ほんのちょびっと。彼のお部屋で過ごすことができて、これもまた幸せです。
　コーヒー飲んで、ほうっとひと息。
　なんとはなしに彼の書棚を眺めて、綾花は、
「あ」
　と声を漏らしました。
　立ち上がって書棚から抜き取った、一冊の本。
「時おり、読み返しているんだ」
　表紙には、陰る灰色雲。その切れ間から降りるまばゆい光芒。鮮やかな青い空。『HALO　～氷解無垢～』。
「悲しくは……ならないですか」
「うん。むしろ、ほっとするかな」
　記憶は記憶。過ぎ去った過去。そうと思えるようになったのはごく最近のことだと彼は言いましたけれど、いずれにしても、彼は以前より明るくなったかもしれません。少なくとも綾花の前ではすこうしだけ、クールな珪さんよりフランクであけっぴろげな珪さんが顔を出してくれました。たとえ窓の向こうがしっとり雨模様でも。
　それが綾花には、たまらなく嬉しいのです。
「珪さん」
「うん」
「もう、雨の日は苦手じゃないですか」
「うん。たまには雨もいいもんだ」
「それじゃ……今度は雨の日に、おでかけしましょうか」
「それもいいね。ちょっといい傘、買っておこうか」
　ぬくぬくぽかぽかなお家でゆったり過ごすのも、ぱしゃぱしゃしぶきを蹴り上げながら濡れた道を歩くのも、どちらもきっと素敵です。
　猫柄の傘をふたりでひとつ。腕を絡めてぱしゃぱしゃ、ぱしゃり。そんなシーンを想像しながらくすりと笑んで、綾花はなんともしあわせな気分のまま、窓を伝う雫を目で追いました。

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