もうひとつの卒業、桜色のにゃあ｜リアクション

もうひとつの卒業、桜色のにゃあ

雨のつづき・１

　あの日見た空の色を覚えています。複雑で奥深く鮮やかな光を雲の向こうにはらんで、脈打つように変化し、まるで鏡に映る彼の感情を反映しているかのような。そんなきっと、一生忘れられない空でした。

「どうかした？　綾花さん」
「あ、いえ。ちょっと思い出して……」
　振り返った拍子にちょんと手が触れると、それだけで彼のぬくもりが伝わります。
　早川珪。だいすきなひと。けれど恋人ではありません……今はまだ。
　あの空を見上げたあの日を覚えています。天から降りる薄明光線。まるで天使のはしごのようにきらきら、きらと輝いて。ふたりにとっての大切な瞬間を、祝福してくれていたのかな。応援してくれてたのかな。今さらながらに、そんなふうにも思います。
「ふふ。なんだか今日は、うわのそらかな？」
「あっ……ごめんなさい、珪さん」
　思わずにが笑い。
　どうしてでしょうか。今日は快晴、綺麗な青空だけれど、あの日の光はらむ薄雲がかかった空とは違います。それなのになぜだかどうにも、思い出が綾花の胸をよぎりました。
「出がけになんだか、不思議なものを見た……気がして。そのせいかな……」
「不思議なものって？」
「はい、桜色の……」
　見間違い、でしょうか。それとも夢？　まぼろし？　なんとも愛らしい、あの淡くピンク色の毛並みをした猫は、現実の存在でしょうか、それとも……？
「……って、私ったらまた、ぼーっとしちゃって」
「いや、かまわないよ。この陽気だからね、うとうとしてしまうよね。それで、桜色のなんだい？」
「そうそう、そうなんです！　ピンクのかわいいにゃんこを見た気がして……！」
　にゃんこの話題は綾花のイチオシ。いつだって盛り上がるわけでして。パタパタと身振り手振りをまじえて語る綾花の猫談義に、珪さんもからからとあけっぴろげに笑います。
「ははは、桜色の猫かあ。よく分からないけど、なんだか縁起が良さそうだね。幸せを運ぶ猫かも」
「幸せを……うん、そうかも。きっとそうです！」
　今日もふわふわ、浮かぶみたいな足取りで、綾花は道なりに歩みます。隣に彼がいればいつだって、ふわふわふわんってなものです。
「ふふ……」
　ふたりはシーサイドタウンへ。今日は綾花のアパートへ置く家具をいくつか見繕う予定です。ほとんどの物は揃えたものの、足りないものがいくつかありました。例えば身だしなみをととのえるときに見る、大きな姿見とか。
「あっ、このお店です。かわいいものがたくさんあるらしくって」
「おっと」
　思わずぱっと彼の手を取って、わくわくな気分といっしょに入店。ふたりで見つけたお気に入りのお店もいくつかありますけれど、こちらは初めてです。珪さんは店内を見まわすと興味深げに、
「なるほど、いい感じだね。シンプルだけどしゃれているし、かわいらしい」
「うんうん。かわいいです♪」
　置き時計にかけ時計。カトラリー、お皿にカップ。ちょっとした衣類もありました。そして、姿見も。
　ちょっとアンティーク風。少しくすみがかった真鍮製で、派手過ぎない程度に飾りつけもされていて、とってもおしゃれです。大きさも綾花の背丈にジャストフィット！　ほかにもいくつか鏡は並んでおりましたけれど、ひと目ですっかり気に入ってしまいました。
「これ、いいなぁ。これにしちゃおうかなぁ」
「直感は大事だよね。これに決めてしまうかい？　なら、店員さんを呼んでこようか」
「はいっ、お願いします」
　そう言って歩いていく彼の靴音を耳にしながら、綾花はじっと姿見を覗きます。よく磨き上げられていて、くもりひとつもありません。映っているのはたくさんの家具や雑貨類に、デート用にキメた綾花のばっちりな立ち姿と、桜色の……。
「えっ？」
　揺れるピンクのしっぽが鏡の中をよぎったように思えた、そのときでした。不思議なことが起こったのは。