ふかふか、おひるね


　おひさまはぽかぽかで、寄せる春の風はふわりとあたたかい。
　ぴかぴかのおひさまに照らし出された空は花のような水色をしていて、万条 幸次は思わず手にしたカメラを空へと向ける。
「いい天気だねぇ……」
　まぶしい春の光に目を細めているうち、そのままうとうとと眠たくなってきて、
「……っと」
　手にしたカメラを取り落としそうになったところでハッと瞼を開く。ごしごしと目を擦りながらふわりと大きなあくびをする。
　空をひらひら渡る桜の花びらに眠たい目を奪われ、二歩三歩と歩いたところで、
「ん？」
　旧市街商店街の一角をのんびりとことこ歩いて行く猫を見かけた、気がした。
(猫の気配察知！)
　なにより誰より猫を撮るためのカメラをぎゅっと握りしめ、幸次は杜の湯を過ぎた先の角を曲がった猫を追う。ちらりと見た感じ、この辺りでは見かけた覚えのない毛並みの猫だった。
(なんかこうねぇ、……)
　寝ぼけ眼で見た猫の姿を頭に思い浮かべる。ふわふわと空を渡る桜の花びらみたいな色をしていた。
(桜色の猫……！)
　目が覚めた。
　家にあるぬいぐるみの猫にとてもよく似ていた。あのもふもふでふかふかの可愛い猫のぬいぐるみ。まさかあのぬいぐるみが家から抜け出してお散歩しているわけではないだろうけれど、それでも気になる。
　もう是が非でもカメラに納めなくては。できるならその毛並みを撫でさせてもらわなくては。うちのぬいぐるみと同じ手触りなのか、それとも別のもふもふなのか確かめなくては。
　春の海を背景に、ととん、ととん、と寝子電がのんびり入ってゆくのを横目、幸次は桜色の猫が入り込んだ路地へと向かう。
　陽の当たる石塀の上、庭に咲く桜の樹の下、路地裏のお地蔵さまの祠の影――猫の居そうな場所を探して歩く。
　にゃう、と離れたところから聞こえた声を辿ってあちらに向かえば路地裏で猫の集会に出会い、にゃご、と聞こえた声に視線を上げれば屋根の上に香箱を組んだ黒猫に笑いかけられ、そのどの場面でもほくほくとカメラのシャッターを切る。
　真っ白な雪柳の花の咲き揃う庭に面した道に迷い込んで、さあどっちへ向かおうかと旧市街の家々を眺めやったとき、
「あ」
　白詰草の咲く小さな空き地にぽつり、一輪の花のように佇む桜色の猫を見つけた。
「いた……」
　目が合いかけて、そっと視線を外す。コンニチハ、とゆっくり瞬きの挨拶をしようとして、にゃあう、と話しかけられた。
　空き地の端っこ、猫が怖がらないようにゆっくりとしゃがみこむ。じっと待っていると、猫はにゃごにゃうと何かしら喋りながら近づいて来てくれた。手が届く距離で足を止めたかと思えば、その場でごろんと横になる。
　撫でて、とでも言いたげな仕種に思わず笑う。仰せのままにと手を伸ばしかけて、ふと。猫が動きを止めた。花の色した瞳の先を追って幸次が見たのは、空き地の隣の古い民家――その一角の窓。
　春の陽にぴかぴか照らし出された窓硝子には、
「……ん？」
　寝子高の制服を着た自分が世にも幸せな顔をして昼寝をしている。
「んー……？」
　私服姿の今の自分を不思議に思うよりも先、もっと不思議な光景が窓硝子には映り込んでいる。

　大きな獣の背中のようにもふもふしたどこかで眠っている自分の周りには、猫がいっぱいいるのだ。いっぱい。きちんと数えて、
「……ななひき……？」
　いやでも、と幸次は考える。
　お腹の上で寝ているのは、あれは自分だ。ろっこんで完全な猫の姿になった自分。間違いない。だって猫になったときに混乱しながらもじっくりしっかり自分の姿を確認した。サビ柄なのも、長い尻尾も、桃色の肉球も、間違いなく自分が猫になったときの特徴だ。
(まあいいかぁ)
　それはそれとして猫は猫だ。自分のお腹の上で自分であるはずの猫が寝ていたって別に困るわけではない。嬉しくて羨ましくて、むしろ代わって欲しいくらいだ。
(まさか自分が猫になる力を得るなんてなぁ)
　完全猫形態で普通の猫のふりをしたこともある。
　耳だけ猫にかたちになったり、耳と手だけ猫のかたちになったりしたこともある。
(獣人形態で戦ったりもしたよね)
　あのときはあのときで大変だったり必死だったりもしたけれど、今になって思えばどれもいい思い出だ。
　右手に背中を抱かれて眠る赤い首輪の白黒猫は、今も一緒に暮らしている花遊だ。眠っているときは細めた目も閉じた口も笑い顔のように見えて可愛いのに、
　――おっ、カーノジョ！　一緒にニボシ齧らない？
　ろっこんが進化してネコ科の動物と会話が出来るようになって知ったのは、花遊が他の雌猫に声をかけまくるナンパ好きであることと、
　――オマエはオレの弟なんだから言うこと聞けよなー
　こちらに対して兄貴面をすることだった。
(……そりゃあ花遊を人間の齢にしたら俺より年上になるけど、けど……！)
　母に拾われてきた子猫の頃から花遊を知る幸次としては今も納得はしていない。それでも、
(ろっこんで会話出来たのは嬉しかったな)
　それは間違いない。
　くすりと笑って、左肘に背中を押し当てて丸くなって眠る白猫へと視線を移す。
(花見……)
　もう死んでしまった、大切な猫。この島に来てフシギなあれこれで何度か会えたのは幸せだった。
　優しい声を覚えている。
　きらきらと星のように煌めく青い瞳を覚えている。
(でも)
　出会えたとき、彼女はフシギなあれこれで人間のおばあちゃんの姿をしていた。きっとそうだと信じながら、その名前を呼んでやることが出来なかった。
(花見)
　うちに来たときにはもうおばあちゃん猫で、次の年の桜を一緒に見ようねと祈るようにつけた名前。この島で、機会はあったはずなのに、結局一緒に桜を見ることはまだ出来ていない。
(花見――)
　瞼が熱を帯びた気がして、幸次はごしごし目をこする。左肩にしがみつく三毛の子猫へと視線を移す。
　卒業式の直前、花遊と力をあわせて保護した子猫だった。水色の大きなリボンが可愛らしくて、見ているとついつい笑顔になってしまう。
(梅の下にいたから梅だって)
　母のつけた名前は安直ではあるけれど、小さな子猫に似合う良い名前だと幸次は思う。
(これからたくさん遊ぼうね)
　家で花遊と留守番中の子猫にそっと話しかけて、枕元で胡坐をかいて座るカプセルギアのカラスマルを見つめる。
(いつ見てもカッコいいフォルムだよねぇ)
　お気に入りのカプセルギアではあるけれど、
(俺の練習不足で活躍が少なめなんだよなぁ)
　周りのみんなと一緒で眠っているはずのカラスマルがちょっぴりふてくされているようにも見えて、幸次は思わずごめんなと両手を合わせる。
(これから頑張ろうね！)
　カラスマルが背中を預けているのは、猫は猫でもネコ科のライオン、星幽塔で一緒に冒険をする仲のブロケイド。
(ブロゥ)
　愛称を心の中で呼んでみる。
　ネコ科であるおかげが、ブロゥとも会話をすることが出来た。
　凛々しくて大きな身体に勘違いしてしまいそうになるけれど、ブロゥはまだ幼い。普通の猫と同じようにじゃれついたり甘噛みしたくてたまらないお年頃で、夢は幸次と一緒に星夕幽塔で一番の戦士になることだ。
(また一緒に冒険しようね)
　遊びたい盛りの星幽塔の相棒に笑いかけて、幸次は窓硝子に映る自分と七匹の猫を見つめる。
(いつかどこかわからないけど)
　みんなで集まってぐっすり眠る幸せの空間であることは間違いない。
　それぞれのことをうららかな春の日差しの中で思い出しながら、幸次は小さな笑みを零した。
(たくさんの出会いがあったねぇ……)
　そうして、これからもきっとこの島でたくさんの出会いを重ねてゆく。
　傍らでいつのまにかちょこんと前肢を揃えて座っている桜色の猫を見やる。窓に映る桜色の猫に触れることはできないけれど、そっと手を伸ばして傍らの猫の背中を撫でれば、嬉しそうに目を細めてくれた。
(俺、寝子島に来てみて本当によかった)