海の青さに思うこと｜リアクション

海の青さに思うこと

　せっかくやけん、と倉前七瀬はあっさりしたものだ。なかなか大仰な現象なのだが、少しばかり口を開けてほほうと驚いた後に（そうは見えなかったが）、サーフパンツを履きパーカーを羽織って部屋を飛び出した。
「まるで水槽の中にいるみたいですねぇ」
　奇妙な現象だが楽しんでしまうことにする。つまり「せっかくやけん」である。七瀬のようなのんきでマイペースな質は寝子島においてプラスに働くことが多い。人生は楽しんだ者勝ちなのだ。
　水槽の中と七瀬は評したが、実に言い得て妙だ。島を包みこむ球状の海水は大海のようでいて終端があり、確かに美しく丁寧に整えられた箱庭やジオラマといった印象があった。であればいかなる者の手がこれを設えたのか。寝子島には神も悪魔もそれ以外の超常的なあれこれも多様な存在たちが現れるものだから、まぁいくらでも想像の及ぶところではあるが、あえて詮索するのは止めておく。それより何より、楽しむことが重要に思えた。
「綺麗ですねぇ」
　いつも行き来する散歩道も違って見える。ぼんやりと光放つサンゴ礁が道の両端を照らし、そこを棲み処とする小魚たちが群れていた。上を見ると差しこむ陽光を受けて櫛板を七色に反射するクラゲたちが気ままに流離っている。向こうに長大な身をくねらせ昇ってゆくのはなんとリュウグウノツカイだ。圧巻の光景に海の神秘の粋を見た思いで、七瀬はしばし見入った。
　といってそんな光景の中には、見慣れた姿もあった。
「あ。ウォルターさん！」
「やぁ、七瀬。今の見たかい？　すごいよねぇ」
　何度か七瀬の部屋を訪れてから、その界隈もウォルター・Bは気に入ったらしく、度々このあたりを散策する姿を見かけた。もちろんそうした際には声をかけ、あちらの通りでは猫の集会が見られて楽しいのだとか向こうの店に新商品が入荷したのだとか、情報交換したり共に赴いたりもする。島の全てが海となった今日もまたこのあたりをぶらりと歩いていたようだ。故に七瀬に驚きは無く、ただ喜びがあった。
「今日はヘンな日ですねぇ。でも綺麗で楽しいです」
「今日も、って言うべきかもしれないけどねぇ」
「確かに……あっ、あのシマシマ模様はイシダイでしょうか。あっちの黄色いのは、チョウチョウウオ？」
「熱帯魚かい？　色鮮やかだねぇ。おっ！　あそこにいるのは海亀かなぁ？」
「アジに真鯛、イカにタコもいますよ。何だか……」
「美味しそうだねぇ」
　同じことを考えていたらしく、思わず目を合わせて笑った。
　イワシの群れが光を返す様に七瀬は見入り、繰り広げられるシャチと獲物のデッドヒートにウォルターは興奮の声を上げる。揃ってこんな時には昂揚しがちであり、次々と現れる海の偉大な創造物たちに、大きな子ども二人といった風情で大いにはしゃいだ。
「いやぁ、すごいねぇ。色んな魚が見られて楽しいよ。うん？　あれは……」
「何か、キラキラしたお魚が……」
　海の中、一際に輝きを放つものが緩やかな海流の流れに乗り悠々と泳ぐ。よくよく見れば美しい魚体には覚えがあった。真珠イルカだ。寝子ヶ浜海岸あたりで時折目撃される、近海の固有種と言われているが、神魂に何らかの影響を受けているのではないかともれいびたちにはもっぱらの噂だった。
「もしかして、あれ……」
「シンちゃん？」
　七瀬とウォルターもその中の一頭を目撃し、触れ合ったことがあった。真珠イルカのシンちゃんだ。二人に気づいたのだろうか、虹色の滑らかな肌をきらめかせながらにきゅうと鳴いて、弧を描いてぐるりと泳いで見せた。
「相変わらず可愛いねぇ」
「癒されますねぇ～」
　ゆるゆると相好を崩し、愛嬌を振りまくのに余念がないシンちゃんのアピールをしばし眺めて楽しんだ。声をかけるときゅうと鳴いて応えてくれるもので、夢中でふたり、何度も名を呼んだ。
「あはは、泳ぐ姿も可愛いですねぇ。ね、ウォルターさん、ウォルターさん！　楽しいですねぇ！」
「うんうん。この島ってけっこー、ヘンなことが起こるじゃない？　でも、今日のはアタリだねぇ」
　満足そうに頷く彼の横顔を、七瀬はふと見つめた。美しく荘厳で、神なる何者かの存在をも感じる壮大な今日の現象だったが、一人で直面したとてこうも興奮しただろうか。隣の彼の存在あってこそこんなにも心躍るのではなかろうかと七瀬は思う。
「うん。当たり、ですねぇ」
「でしょ？」
　シンちゃんに手を振り、泳ぎ出す。ああ、新しくできたあの店は気になるよねぇ、おっと熱帯魚たちが踊ってる。綺麗ですねぇ、と他愛もない言葉を交わしながら笑顔も絶えず、男子高校生二人といった趣きのまま遊泳の続きを楽しんだ。

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