海の青さに思うこと｜リアクション

海の青さに思うこと

「あはははは！」
　イルカの背に乗り、目の前を悠々と走り抜けてゆく彼は見知ったウォルター・Bだろうか。まるで少年へと還ったようにきらきらと瞳を輝かせ、はしゃぎにはしゃぐ大人は本当に彼だろうか。
　稲積柚春もまぁ、無理はないと考える。何しろ今日の寝子島は一面のブルーに覆われ、呼吸にも詰まらぬままに海を堪能できるのだ。周囲にはテレビの画面や水族館でしか見ることのできない海の生き物たちが泳ぎ、海水に満たされた半球は柚春とウォルターのために用意された巨大なプールだ。遊んでも遊び尽くせないだろうこの空間にあって、テンションが上がってしまうのもやむなしである。
「……っじゃなくて、ちょっとワット！　一人でどこいくの！？　僕を置いていかないでよ！」
「ああごめんごめん。いやぁははは、楽しくてついねぇ」
　彼はそうして盛り上がると没入してしまうことが度々あった。置いてけぼりをくらってはたまらないから、柚春はウォルターの手を取り握りしめる。もはや離すまい。唇をとがらせたまま真っすぐに彼の青い瞳を覗き込む。ああ、まるで海のブルーに溶け込むかのようだ。
　人懐こいイルカの群れをお共にし、半球を泳ぐ。眼下の見慣れた街並みはブロックのおもちゃで作られたミニチュアのようで、何だか可愛らしい。鯨の遠く鳴く声は耳触りよく、心落ち着かせる子守歌にも思えた。
　ゆったりと波間を揺蕩いながら、柚春は尋ねた。
「ねえ、ワットは青といったら何を思い浮かべる？　だってここは、ほら。どこもかしこも青いから」
　目の覚めるような青い鱗の熱帯魚が忙しなく尾を振り、目の前を駆け抜けていった。ウォルターはそれを指差して言った。
「じゃあ、魚」
「じゃあって。適当だなぁ」
「ははは、でもいい色だよねぇ、青って。どこまでも続く空を見てると、何だかわくわくしてきちゃうし」
「あっ、ワットも？　僕も青といったら空のイメージ！」
　誰かと好みや意識を共有するのは心地のよいことだ。それが想い人であるならこの上なく幸福だ。柚春の頬は蕩けるように緩んだ。
「ワットは背が高いでしょ？　おしゃべりする時、自然と目に入るのが空だから」
「へぇ、なるほどねぇ」
「それにね？　ワットにもらったブルートパーズのピアス……あれを空にかざして見るとね、すごく綺麗なんだ。僕のお気に入り」
　そんな風に取り止めない言葉を交わしながら、海を行く。
　ウォルターはしばらく柚春へ興味を留めておいてくれることもあれば、視界を横切る魚やら海亀やら、遠くに見えた鯨やらへあっさりと目を奪われて子どものように瞳を輝かせ、ふらふらとどこかへ行ってしまいそうになることもあった。
「ワットは波みたいだね」
　海流に身を任せ漂うウォルターを、柚春はそう評した。
「波？　僕が？　そうかなぁ」
「小さかったり、大きかったり。本当に気まぐれなんだから。まったくもう」
「ははは。そりゃすまないねぇ」
　空に手は届かないが、海へ足をつけ白波に手を触れるのは容易だろう。彼のそんな気安さを好ましく思う。誰にでもそうして愛想を振りまくところには、いささか心配が募るが。
「まぁ……そこがいいとこでもあるけどね」
「うん？　何だって？」
「何でもなーい」

　青い瞳に波間を連想したが、彼は柚春の瞳をどう思うだろうか。尋ねてみたくもあったが、少々野暮にも思えて止しておいた。いつか時が来れば彼から教えてくれるかもしれない。何しろ、気まぐれなものだから。
「ああ……恋人たちがぼくを楽しんでくれている。こんなに嬉しいことはないよ」
　何だか儚げで透き通るような美少年が通りがかり、柚春とウォルターの仲睦まじき様を眺めて言った。どこか浮世離れした少年は名を木天蓼湾と言ったが、二人がそれを知ることはなく、柚春は頬を赤く染め、ウォルターはそしらぬ顔を浮かべていた。
　少年が機嫌よく行ってしまうと、柚春はウォルターを見上げて悪戯っぽく笑う。
「恋人たち、だって。ね、ワット」
「おおっ、あれはジンベエザメ！　一度見てみたかったんだよねぇ、いやぁ大きいなぁ」
「ってワット！　ちょっとー！」
　ウォルターから望みの反応を引き出すことには苦労しそうである。しかしそんな駆け引きにもどこか充実感を覚えないでもない。
「ふふ。本当に大きいね。近くで見てみよっか」
「いいねぇ、行こう行こう」
　たまには彼の興味に寄り添い、一緒に楽しんでみるのも悪くない。悠然と泳ぐ巨体に触れたり、抱きついたり、浮かれがちな彼の姿を眺めてしばし楽しんだ。

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