二月の魔法は春を呼ぶ｜リアクション

二月の魔法は春を呼ぶ

　夜の桜花寮。ベランダに出て貝殻を耳に当てている。
　波音を聞いているのではない。大好きなひとの声を聞いているのだ。風の精晴月の。
「やっほー、ラッセルー」
　これは彼女特製の貝殻携帯電話、略してガラケーだ。電話といっても電気をつかっているわけではなく、見た目も実際もただの貝殻にすぎないのだが、なぜか晴月限定で会話ができる。当然ブラウザ機能はなくNYAINもできないし、つながったりつながらなかったり気まぐれなガジェット（しかも寝子島でしか使えないという）ではあるものの、晴月と連絡をとるにはこのうえなく便利で、桜井ラッセルは肌身離さず持つようにしていた。
「へへ、いま何してた？」
「いま？　浮いてた。てゆーか浮きつづけてる。ラッセルは？」
「俺は晴月のこと考えてた」
　本当だ。ベッドに転がって天井を眺めていたところ急に呼び出し音ならぬ呼び出し声（「とぅるるるるる」）が聞こえてラッセルは跳ね起き、枕元の貝殻をつかむやベランダに飛び出したのである。同室者に気兼ねしての行動だが、当のルームメイトは『気をつかわなくていいのに』という顔をするだけで何も言わない。
　そろそろお花の季節だねと晴月は言った。
「寝子島神社に花が咲いたよ。桜じゃないかな？　梅？　なんかねー、人がたっくさん来てた。観光なのかな、なんかガラガラ音がする箱ひっぱってたよ。映画で見たことある。空港で出てくるやつ。ガラガラガラガラ、みんなでひっぱって音立ててるの。あれが楽しそうでさー。ラッセルはあのガラガラ箱持ってる？」
　晴月の声を感じるだけでラッセルも空に浮いているような気分だった。目を閉じて聴き入っている。
「あれ？　もしもーし、ハローハロー、聞こえてるー？」
「おっと、ごめん聞こえてるぞ」
「もしかしてラッセル寝てた？」
「断じてそんなことねー。聞き惚れてただけだよ、晴月の声にな」
「うがいみたいにガラガラ言ってたわけだけど？」
「そのガラガラがいいのさ。魅力的だ」
「もー。魅力的なんて言われると恥ずかしいよー」
「だってほんとのことだから。晴月の『ガラガラ』、最高だ」
「最高って言ってもらえるなら、もっとやわらかいこと言いたいな」
「言って言って」
「好きよ、ラッセル」
　チュッと鳴ったのはきっと、晴月がガラケーに口づけた音だ。
「……………………いま俺、一瞬昇天した」
「急に黙ったからびっくりしたよ～」
　たまらない。いますぐ会いに行ってキスしたい。
　ラッセルは夜空を見上げる。星は見えるが晴月の姿は見えない。
　でもあの空のどこかにいるんだよな。
　それでガラケー手に持って、俺にだけ話しかけてる。
　晴月、晴月。
　俺の大好きなひと。
「でさ、いま寝子島はデートウィークって言って」
「知ってるよー、牛丼食べに行く期間でしょ？」
「誰に聞いたのそれ！？　じゃなくてさ」
「わかってるよーだ」いたずらっぽい顔をしている晴月をラッセルは想像した。「デート行きたい！　ラッセルと！」
　どっか行こうと話はまとまった。シーサイドタウンで落ち合う。でも目的地は特に定めず「ぶらぶらしようぜ」と決めた。明日だ。
「いいね！　そぞろ歩きだね」
「気の利いたこと言うなあ。そぞろ歩こう」
「あと、言い忘れてたけど」
「なーに？」
「あのガラガラいう箱はスーツケースってやつだ。言いかえれば旅行カバン。でも俺もってねーんだよな。あんま旅行することなかったし」
　でも卒業したら買おうと思う。
　そして晴月と旅に出てみたい。空港、観光地、ホテルのロビー、ガラガラガラとひっぱり歩きながら。