朝五時。水墨画のような空。
走っている。
九夜山の山道を、
詠 寛美は黙々と走っている。
草臥(くたび)れたスニーカー、それ以上にひどいありさまの稽古着、ポニーテールに縛った髪は、子猫が見れば飛びつきそうなほど派手に揺れている。
霜柱が立つほど凍てつく朝だが寛美の体内は溶鉱炉のように熱い。いよいよクライマックス、長くつづく石段にさしかかった。
気配を感じ視線を横にながして、「えっ」と寛美は声を上げた。
「んふふふふっ」
併走する姿があったのだ。
女性だ。桃色の長い髪を風になびかせ猫のように黄色い目、寛美に妖艶にほほえみかけた。
胡乱路 秘子、上下ともに真っ白なトレーニングウェア、サイケデリックな曼荼羅模様のヘッドバンドを額に巻いている。
「……」
寛美は愛想笑いのひとつすら返さず、秘子を振り切るように猛然とスパートをかけた。
一気に加速、石段を駆け上がる。靴音はまるでマシンガンだ。頂上が見えてきた。
げっ。
生暖かい空気が寛美の頬をなでる。秘子がぴったりペースを合わせてくるではないか。やはりほほえんだまま。凄まじい速度で。
技巧派ピアニスト同士の超速連弾のよう、数センチの誤差もなく、ほぼ同時に寛美と秘子は石段を登り切った。
「やるじゃねーか」
スタミナも切れて立て膝で座りこみ、息も絶え絶えの寛美だった。腿に触れる石畳の冷たさが心地よい。
「どういたしまして」
寛美に寄せるように体育座りして、秘子はやはり「んふふふっ」と笑う。秘子の呼吸に乱れはない。そればかりか汗ひとつかいていない様子だ。
「なんか久々に会うな」
「ですわねえ」
にちゃり。水気を含んだ音が立つ。秘子が唇を舐めたのだ。
「今日は詠さんに、おりいってお話がありまして」
寛美の肩に力が入った。無意識的にだが、右手は手刀をかたちづくってもいた。
「そんなに警戒しないでくださいな。わたくしね、気がついたことがありまして」
秘子は座ったまま手を伸ばした。ひたひたと女郎蜘蛛のよう、秘子の手のひらが這ってくる。寛美の膝をつかんで言う。
「わたくしたち、共通点がありますわね。嬉しくなってしまって。ぜひ詠さんにお知らせせねば、と」
何をだよとうながされつつも、黙って秘子はにやにやするだけだった。
しばらく間があき、寛美がじれてきたあたりでようやく言った。
「エイチ・ユー」
「なんだそれ?」
「イニシャルです。『H・U』、『ヒメコ・ウロンジ』に『ヒロミ・ウタイ』。ただイニシャルが同一なだけではなく、名前が『ひ』姓が『う』からはじまるところまでおんなじ。なんて素敵な偶然でしょうっ」
寛美の首が垂れた。効果音をつけるなら『ガクッ』というのがふさわしい。
「ああ、そうかよ。そりゃどーも」
「嬉しくないですか?」
「嫌じゃねーけど踊りたくなるほどの情報でもねーぞ」
「わたくしは踊りたいです」
立ち上がると秘子は、本当にくるくると舞いはじめた。でたらめなテンポなのに妙に優雅に。
「昨夜とつぜんに気づいて、どうしても教えたくなりましてね。詠さんが毎朝走ってることも思い出し、わたくし、不得手な早起きまでしてしまいましたのよ」
口を半開きにして見ているだけの寛美に、「ところでわたくしね」と秘子は告げた。
「下着ショップで働いておりますの。ご存じでした?」
「あー……そうだった気がする」
「ですので営業活動。かわいい下着、お入り用じゃありません?」
「お入り用なわきゃねーだろ。んなもんスーパーの二階で売ってるセール品でじゅうぶんだ」
「デートウィークですのに?」
二月後半のこの時期に、寝子島には静かなブームが訪れる。バレンタインで生まれたばかりのカップルが、成立後の初デートを楽しむシーズンとされているのだ。人呼んでデートウィーク、ねこったー上のハッシュタグは『#DateWeek』あるいは『#dw』だ。
「俺には関係ねぇ」寛美はぷいと横を向く。
すると秘子はあごに人差し指でふれ、「でも」と言ったのである。
「ボーイフレンドにご披露するブラやおパンツが、スーパー二階の特売品でよろしいのでしょうか?」
「い……!」寛美は真っ赤になって立ち上がった。「いきなりそんな! み、見せたりすることにはっ!」
「んふふっ」唇を指でなぞって秘子は含み笑いした。「語るに落ちましたわね。どうやら詠さんにも、おデートの季節がめぐってきたようで」
「テメーひっかけやがったなあ!」
ジャンプするように立つと寛美は両腕を振り上げた。一言で表現するなら『ムキー!』のポーズ、顔は恥ずかしさで噴火状態だ。もうもうと湯気が立ちそうである。
「あらごめんなさい、からかうつもりじゃありませんのよ」するりと寛美の背後にまわり、秘子は彼女の双肩に手をのせた。口を寛美の耳元に寄せ囁(ささや)くように言う。「見せようが見せまいが、素敵な下着は乙女の恋のスペシャルアイテム、身につけるだけであなたの内面をサポートし、ぐっと魅力的にしてくれるものですの」
まだ開店前ですが特別に、とさらに秘子は告げた。
「詠さんをお店にご案内いたします。おなじイニシャルだからこその特別サービスですわ。わたくしといっしょに選びません? とっておきの下着を。ご予算の相談もどうぞご遠慮なくおっしゃってくださいませ」
寛美が思い浮かべるのは、バレンタインデーをきっかけに晴れて恋人となった
市橋 誉だ。じつのところ寛美は彼に、交際開始後初デートの提案を考えていた。それも……今日!
あいつ、下着なんて気にするのかな――。
悩む。だが結論をだした。
まいっか。自分に気合いが入るかどうかだよな。
スペシャルアイテムかどうか知んねーけど、ま、試すだけ試してみっか。
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バレンタインデーは終わったばかり、同時にデートウィークが幕を開けた。
二月の魔法は彼女の、彼の、心をほんのり軽くしていることだろう。
春を呼べるかどうか、それはあなたの気持ち次第だ。
ここまで読んで下さりありがとうございました! マスターの桂木京介です。
市橋 誉さん、ガイドへのご登場ありがとうございました。ご参加の際は、シナリオガイドにこだわらず自由にアクションをおかけください。
お待ち申し上げております。
概要
バレンタインデーが終わってから二月末までの期間、この短い時期を『デートウィーク』と呼び、デートを推奨する文化が寝子島にあるそうです。この時期のお話です。
基本的には恋愛関係のお話を考えていますが恋愛色のない展開も可能です。
あなたらしい『デートウィーク中の一日』を教えてください!
アクションのヒント
そんなこと言われても思いつかないよ……というかたのためのヒントを以下に記します。
あまり役に立たないかもしれませんが参考にしてみてください。
・正式に付き合い始めたばかり。まだぎこちなさの残るデート。『話題が途切れた! どうしよう』と内心焦ったり、どのタイミングで手をつないだらいいだろうと迷ったり。
・肩の凝らない食事がいいと彼女が言うので、牛丼屋でランチしてみました。デートは『デー牛丼』の略だって誰かが言ってた。
・映画鑑賞。ところが選んだのがドン引きするくらいエロい内容で、その後の会話に無茶苦茶困ってしまう。
・明日のデートに備えて買い物へ。胡乱路 秘子にキャッチされて下着を選ぶ。だんだん過激な品があらわれはじめて……。
・デートウィークは繁忙期なので仕事に追われる。デートするカップルを横目に働きつづける。心のなかでむせび泣く。
NPCについて
故人など例外はありますが基本的に制限はありません。ただし相手あってのことなので、必ずご希望通りの展開になるとはかぎりません。ご了承下さい。
※特定のマスターさんが担当しているNPCであっても、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、交際相手、地球を救うミッションに選ばれた学者とその上司等)を書いておいていただけると助かります。
参考シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(申し訳ありませんが2シナリオ以内でお願いします)。
私こと桂木が書いたシナリオであっても、私は記憶力に問題があるのでタイトルとページ数を指定いただけないと思い出せないのでご注意ください。
それでは次はリアクションで会いましょう。あなたのご参加を超がつくほどお待ちしています!
桂木京介でした!