Pioggia　Capriccioso｜リアクション

Pioggia　Capriccioso

　最初は、彼女の演奏に合わせているつもりだった。重厚なピアノの音色を壊さないように、繊細に、そして大胆に旋律に切り込んでいった。けれど何時しか二つの音が混じりあい、双方が互いの音を聞いて合わせていた。
　篠崎響也は、ピアノを弾く少女に目を向けた。音にばかり気をとられていて気付かなかったが、見た事のある顔だった。同じクラスの、確か名前は御陵優妃。お人形のような見た目に男達が騒いでいたのは耳に入っていたが、興味のない話だったため、ほとんど聞いていなかった。響也にとっての優妃は、大人しくて無口なクラスメイトに過ぎなかった。でも、こんなに凄い演奏をするのなら、もっと興味を持っておくべきだったと後悔する。
　音楽家だった両親の影響で、響也は幼い頃からヴァイオリンとピアノを始めていた。始めたばかりのころは、一つの曲が弾けただけで大喜びしていた。響也の小さな指先から流れる旋律は心地良く、小さい頃から音楽が楽しくて仕方なかった。最初は楽譜通りに弾く事で精一杯だった響也も、次第に自分なりの音を出せるようになっていった。悲しみを込めて弾けば重厚に、喜びを込めて弾けば華やかに、指先から紡がれる旋律は、響也の感情次第で七色に輝いた。
　音楽には、無限の世界があった。その紡ぎ手である両親を、響也は心から尊敬していた。
　けれど音楽は、時に人を魅了しすぎる。両親は音楽を優先し、家庭を顧みなくなっていった。家に帰る事も少なくなり、約束も簡単に破られた。かつては音に溢れていた家も、いつしか音を失って行った。響也と妹だけの家は広く、妹の顔から笑顔は消え、寂しそうな瞳が、いつ帰るとも知れない両親の椅子を静かに見つめていた。
　両親にとって、音楽は自分や妹よりも大切なものなのだろうか？
　それなら、自分と妹は、両親にとって何なのだろうか？
　家族とは、何 ―― ？
　音楽家として尊敬する自慢の両親と、家族として嫌悪する両親。その二つの相反する感情が響也の中でぶつかり合い、不協和音を奏でる。激しい葛藤の後、響也は音楽を捨てた。こんなモノのために、家族がバラバラになって良いはずがないと、ヴァイオリンとピアノから遠ざかった。
　音楽を失った響也の毎日は、色を失ったに等しかった。聞こえてくる音は耳障りで、響也を苛立たせた。無味乾燥な日々は響也の心を荒ませた。水を失った魚のように、辛く苦しい日々。荒れた生活の末に響也が導き出した答えは、音楽だった。
　結局のところ、響也は音楽が好きで、止める事なんて出来なかった。無数の輝きを持つ音楽の世界に魅せられた音楽家の一人として、響也は音楽を心から愛していた。
　だからこそ、分かる。優妃が、本当の意味で音楽の楽しさを知らないのだと。そうでなければ、明るく楽しげな曲調に、こんなに悲しい音を乗せる事は出来ないだろう。
　響也の中で様々な感情が混じりあい、繊細な音色を奏でる。優妃の音を支えるように寄り添うヴァイオリンの音は透明で、雨音と混じりあってゆっくりと空中に溶けて行く。