Pioggia　Capriccioso｜リアクション

Pioggia　Capriccioso

　雨が降るという事は、朝のニュースで見て知っていた。それなのに傘を忘れてしまったのは、天気予報のすぐ後に悲しいニュースが流れたからだった。画面の中で微笑む少女は可愛らしく、こんなに若くして死んでしまうなんて考えもしなかっただろう。無邪気な笑顔は、葉利沢倫理子の胸を熱くした。
　図書館は静まり返っており、人の姿はほとんどない。予報通りの雨に、ほとんどの生徒は足早に帰宅してしまったらしい。
　倫理子の目の前には小難しい本が広げられていた。先ほどから１ページも進んでいないのは、朝見たニュースが心の奥に引っかかっていて何となく集中できなかったからだ。
　窓の外に目を向ける。鈍色の重たそうな雲を見上げ、窓を叩く雫の音に耳を澄ませる。誰かがページを捲る音が静寂を切り裂き、突然繊細なピアノの音色が倫理子の耳に届いた。
　綺麗な、それでいてどこか物悲しげな色調を帯びた旋律は、倫理子の中の消えない悲しみとリンクしているようで、切なくて胸が痛くなる。
　ジクジクと熟れたように痛む胸を押さえ、立ち上がる。本を元の場所へと戻し、音を立てないように気をつけながら図書室を出た。ヒンヤリとした廊下の冷気と、重厚なピアノの音色が倫理子を包み込む。
　深い悲しみを内包した旋律は、胸が痛む。けれど、聴いていたい。それに、この曲を奏でているのが誰なのか、興味がないと言えば嘘になる。こんな音色を響かせるのは、どんな人なのだろうか。好奇心のまま、倫理子は音楽室の方へと爪先を向けた。
　足早に廊下を進み、音楽室の前に立つ。窓を背後にグランドピアノを奏でる少女は、見たことのない顔だった。これだけの腕前を持っているのだから、きっと芸術科の子なのだろう。淡い金色の髪と、灰色の瞳が印象的な可愛らしい女の子だった。
　演奏の邪魔にならないように注意しながら音楽室の中に入り、窓辺に立つ。少女は一瞬大きな瞳を倫理子に向けただけで、すぐに視線は鍵盤の上に戻った。眼をそっと伏せ、静かにピアノの音に聞き入る。
　綺麗なピアノの音色には、いくつもの感情が乗せられていた。簡単な言葉になど出来ないほど膨大な感情を感じ取り、一層胸が痛くなる。この子も、言葉に出来ない想いを抱えているのだろう。
　でも、音楽を通じて自分の想いを形に出来るだけ、まだこの子は幸せなのかもしれない。自分も言葉に出来ない想いを傷として抱え、それを胸の内にしまいこむしか出来ない無力な存在だから。
　あの時からずっと、自分は壊れたまま。汚れて二度と綺麗にはならない存在なのだから……。
　瞼の裏に、今朝のニュースで見た女の子の顔が浮かぶ。あの女の子は、帰宅途中に見知らぬ男に刺されて死んでしまった。何も悪くない女の子。ただ家に帰りたかっただけの子。それなのにあの男は、何の理由にもならない感情で女の子の命を奪った。
　女の子の無邪気な笑顔の次に映った犯人の顔を思い出し、鳥肌が立つ。チカチカと頭の中で再生されるニュースの中、女の子の顔が倫理子の顔になった瞬間、目を開けた。冷や汗が背中を滑り、額に薄っすらと汗が滲む。荒い息を吐き出しながら、倫理子はそっと音楽室を後にした。
　廊下を進み、空き教室に入るとしゃがみ込む。永遠に癒える事はないであろう心の傷は深く、未だに熱を持って倫理子の心を苛んでいた。

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