Pioggia　Capriccioso｜リアクション

Pioggia　Capriccioso

　音楽室に入って行く女の子を見て足を止めたのは、彼女があまりにも可愛らしくて綺麗だったからだ。花風冴来は通り過ぎた音楽室に引き返し、窓辺に佇む少女の様子を伺った。
　少女は暫し窓を開けて外の様子を見た後で、ピアノの前に座り、重厚な音色を響かせ始めた。深く重く、心の奥深くに訴えかけるような旋律に、冴来は青色の大きな目を閉じた。
　廊下の壁にもたれかかり、少女の奏でる悲しい音に耳を傾ける。重々しく美しい曲は嫌いではないが、聞いているととても切ない気持ちになって来る。
　冴来の脳裏に、様々な人の顔が浮かんでくる。唯一無二の友人に、片思いの人、愛しい家族。言いようもない気持ちが溢れ、目を開ける。ドンヨリと曇った空に、ピアノを弾く可愛らしい少女。絵になる光景をもう一度じっくりと見た後で、冴来は南校舎の屋上へと爪先を向けた。
　水色の水玉模様の傘を開き、冷たい風に膨らんだ金色の髪を押さえる。青薔薇の髪飾りが揺れ、黒いリボンが目の前を掠める。
　空を見上げれば、暗い茜色に染まった雲間からは光が差し込んでおり、透明な雨粒がキラキラと輝く。掌を空へと向け、降る雨を受け止める。冴来の掌を濡らす雨は冷たく、指の間をすり抜けては足元へと落ちる。
　傘をクルリと回せば、雨粒が弧を描いて飛んで行く。数度傘を回転させ、遠くに見える薄い虹に目を向ける。茜色の空、透明な雨、消え入りそうな虹に、悲しい旋律。
　綺麗……。
　冴来は小さく息を吐くと、唇を噛んだ。
　綺麗で、綺麗すぎて、悲しくなるなあ……。
　ジワリと滲んだ視界に、慌てて目をこすると、冴来は冷たい空気で肺を満たし、歌い始めた。頭の中に浮かんだ曲に、心に浮かんだ言葉を乗せる。
「♪雨は世界　静かに濡らす」
「♪緩やかに目隠しするように」
「♪雨は冷たい　冷たいは寒い」
「♪寒さに凍えて　泣く心」
「♪涙落として　貴女を想う」
「♪想いは今日も　届かないまま？」
「♪独りは寂しい　寂しいは悲しい」
「♪手と手繋いで　半分こ……」
　ゆっくりと、音にあわせて踊る。軽くステップを踏みながら、雨粒を散らしながら。
　頭の中に浮かんだ友人の顔に、冴来は目を閉じた。
　会いたい。会いたいなあ……。
　私によく似た心を持った、大切な愛しい私の友達。
　行方不明だなんて、信じられない……。信じたくないよ……。
　もし、この空を見ているなら、どうかこの歌が届きますように。
「♪止まない雨が心を濡らす」
「♪晴れ間はすぐに過ぎ去って」
「♪闇は冷たい　光は眩しい」
「♪独りきりでは　どちらも苦しい」
「♪痛みは愛しい　愛しいは貴方」
「♪貴方は優しい　私の光」
　冴来の脳裏に、別の人の顔が浮かぶ。
　会いたい。会いたいな。
　あの人は今何をしているのかな……。
　この歌を聞いたら、どう思うだろう。何時も通りに笑ってくれるかな？
「♪独りは寂しい　寂しいは悲しい」
「♪手と手繋いで　半分こ……」
　そこまで歌って、冴来は自嘲気味に唇を歪めた。
　半分こなんて、出来ないのにね。
　私の想いは私のもので、誰にも背負っては貰えないのに。
　祈りは何処にも届かない。
　願いは何も叶わない。
　愛する人には愛されない。
　それが世界の真実。
　そんな事は、わかっている。
　この胸に広がる寂しさは、私への罰。
　私は裁きを受けるべき人間。そんな事は、知っている。
　……それでも、救われたいと願う。私は、弱い。
　誰にともなく、祈る。どうかこんな私を許してください、と。
「……雨が、寂しい気持ちも全部、流してくれたらいいのに、ね……」
　呟いた冴来の声はあまりにも小さく、雨の音にかき消されて誰の耳にも届く事はなかった。

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