MODERN LOVE／バレンタインデーくれー知ってるよ！｜リアクション

MODERN LOVE／バレンタインデーくれー知ってるよ！

　カフェとは言ったものの実際は、喫茶店と呼ぶほうがふさわしい店だった。それも頭に『ジャズ』の冠をいたただく喫茶だ。
　以前ふたりで訪れた店だった。配色は茶色と黒と琥珀がメインだ。木製の看板、煉瓦壁に板張りのフロア、レトロだがよく磨かれたテーブル。メニューは手書きで、流れるジャズにはレコード針の、チリチリと心地よいノイズが混じっている。抜群に音響がいい。音量そのものは控えめなのに耳を澄ませば、奏者の情感がクリアに伝わってくるほどだった。
　他に客の姿はなかった。奥のテーブル席。六人がけだってできそうなスペースで向き合った。
　注文はココアにした。まもなくふたつのカップが運ばれてきた。インスタントではない。しっかりパウダーから淹れたココアだ。香りは抜群、味も深い。クリーミーな舌触りにたちまち魅了されてしまう。
　しばらく味わって、
「熱いけど美味いな。冷え切った体にはたまんないぜ」
　期待以上の反応を寛美は示した。おもむろにつづける。
「そういや実家の顛末（てんまつ）とか、俺、お前に話したっけな」
「いや、聞けてない」
「父親が、俺を田舎に連れ戻そうとしたけど回避した。そのへんくらいまでは市橋も知ってると思うけど」
「ああ」
「見合いしろとか結婚がどうのとか、全部なくなったよ」寛美はカップに唇を付けた。カップを置いて言う。「なんかあいつ……ああ、あいつって父親のことな、あれからまもなく大怪我して生死の境をさまよったんだよな。何があったかゼッテー話さねえからくわしくはわかんねえが、車で事故ったかなんかだってよ。車ごと海に落ちたそうだ。おおかた酔っぱらい運転でもしたんだろうぜ」
「知らなかった。その……親父さん、無事なのか」
「なんとか。で、なんか知らねーが入院中、あいつ人生とかを考え直したんだと。それで俺には、もう口出しはしねーって決めたんだとさ。高校卒業まで黙って学費も出すそうな。まぁ、あとは野垂れ死のうが知らねーだってよ」
「良かった……って、言っていいのかな、俺が」
「俺は喜んでるよ」
　おそらくこれは大まかな話だろう。もっと色々あったのかもしれないが、和解といっていいのではないか。
　すくなくとも寛美が軛（くびき）から解放され、卒業を迎えられそうなのはまちがいなかった。
「卒業後の進路？　こっちで就職するよ。武道の道場で雇ってもらえることになった。といってもま、アルバイトみてーなもんだから、手に職つけねーとな」
　鍼灸師か柔道整復師、可能ならその両方の資格を目指して勉強したいと寛美は語った。
「祝福するよ」
「俺が留年せず卒業できそうってことをか？」
「まさか。詠がしっかり歩み出したことをだよ。目標をもって」
「そいつはどうも」ところで、と寛美は言うのである。「次はお前の番だぜ市橋、将来どうしたいのか教えてくれよ」
「どうして？」
「興味あるから。変か？」
　あっさりと言ってくれたものだ。
　いい頃合いだろう。誉は覚悟を消めた。
　いささか性急に、ココアの残りを飲み干してから言う。
「その前に、詠に聞いてほしいことがあるんだ」
「お前の将来に関係する話か？」
「かなり関係する」
　もう明かすほかない。
　誉は自身を追いこんでいる。
　あと必要なのは、飛び出す勇気だけだ。

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