MODERN LOVE／バレンタインデーくれー知ってるよ！｜リアクション

MODERN LOVE／バレンタインデーくれー知ってるよ！

　綾花は珪とカーテンのほかにラグも選び、購入と配達手続きをすませてカフェに入った。
　今日もいろいろ買いこんだ。未来が埋まっていくような気がする。うすぼんやりしたイメージが、エッジのたった絵に変わっていくような。
　入ったのは有名なコーヒーチェーンだ。アメリカ風だが国内企業の経営だという。
　小休止する場所にシーサイドタウンは事欠かない。海の見えるシートに向かい合わせで座ったとたんに綾花ははにかむ。水に沈めたスポンジみたいに、全身から泡のごとく次々と笑みが浮かんできそうになるのを懸命におさえた。
「どうかした？」

「い、いえ、別に……」
　と答えるが綾花の内心は別だ。頬が熱い。
　このシチュエーション、どうしたってバレンタインデーのこと、思い出してしまいますね。
　今日は屋内、昨夜は外、そのちがいはあるけれど。
　あの日、ふたりは夜のオープンカフェで珪と食事をした。桃色にライトアップされたなか綾花は珪に、いわゆる「あ～ん」をしてチョコを食べてもらったのだ。もちろんその逆も経験している。記憶のアルバムにずっと、クリアな記録として刻まれそうなひとときだった。
　あのとき私たち、ちょっと恋人みたいでしたよね。
　いつもはかっこいい珪さんなのに、お口を開けて待つ姿はとっても可愛くて……。
　自分が親鳥になって、ヒナにご飯を運んでいるような、そんな気持ちになるのである。
　もしかして保護欲？　私が珪さんに？
　くすぐったくなる。
　保護欲といえば、珪さんさっき――。
　珪はいつも穏やかだ。年齢よりもずっと大人で、滅多なことでは動揺しないし感情を大きく動かすこともない。なのでカーテンを見ているときに、彼が多少なりとも憤りの感情を見せたことには驚いた。といっても珪はもちろん綾花に腹を立てていたのではない。教師として公人として、ごく一部とはいえネットのインフルエンサーやときに政治家芸能人など発言力の大きな人間が無責任に放言する内容に義憤を抱いているのだろう。大きな声で主張するよりも、ずっと静かだが心からの言葉だと綾花は受け取った。頼もしくも思う。
　だからギャップというか、照れつつも「あ～ん」に応じた珪の姿との落差を感じてしまう。
　両方の珪さんを知っているのはきっと私だけ。
　どっちの珪さんも素敵です。
　どっちの珪さんも、好きです。
　もう一度「あ～ん」を試みようかと綾花は考えた。店内はあまり混んでいないしチャンスはある。
　コーヒーのお茶請けはクッキーだ。いずれもチョコレート風味なのは、やはりバレンタインデーの残り香を楽しんでいるような気持ちにもなる。ココアパウダーもかかっておりサクサクしておいしい。口の中でほろほろと崩れる感じが、手作りの風味にも似ていた。
　クッキーをそっとつまんだ。
　でもここは真昼のシーサイドタウン、バレンタインデーの夜とはちがうから。
　どこに人の目があるかわからない。うんと迷ったが綾花は自重することにした。自分の口へと行き先を変更する。
　私は、誰かに見られたって構わないんだけど。
　でも珪さんはそうもいかなそう。
　仮に寝子高関係者にでも見つかれば、珪は立場上歓迎すべからざる状況になるだろう。目をつぶっていてくれる関係者もないではなかろうが、下手を打つと彼に懲戒処分などがくだるかもしれない。いくら親密であっても関係は『教師と生徒』だ。ラインは守りたい。といってもこの状態は永遠につづくわけではない。それどころか終了目前である。
　卒業式まであとわずか、それまでの辛抱だ。
「綾辻さん、何か探してる？　忘れ物とか？」
　そわそわした様子に気づいたようだ。珪が小首をかしげた。
「そんなことないです。えっと、じつはバレンタインデーの夜のこと、思い出してました」
　これくらいなら明かしてもいいだろう。
　すると珪は軽く笑って、
「偶然だね。僕もだよ」
　と言ったのである。