イケナイコトカイ｜リアクション

イケナイコトカイ

「こんなこと、恥ずかしくて柚春以外には頼めないからねぇ」
　いま、ウォルターは柚春の上にある。レトリック的な話ではなく文字通りに。

　ソファに座る柚春、その膝に頭を乗せてまどろんでいるのだ。これが彼の『イケナイコト』のようだ。たしかに、寝子高の生徒や同僚教師に見せられる姿ではなかろう。
「僕、いまよりずっと小さかったころ、疲れたときにはよくメアリにこうして膝枕してもらったものなんだよ」
「そうなんだ」
　彼の体温を感じながら、柚春はウォルターの黄金の髪を手で梳（す）いている。さらさらで気持ちいい。長い睫（まつげ）、美しい肌、色っぽいうなじ、そのすべてがふれられる距離にあった。
　無防備でくつろぐいまのウォルターはまるで子どもだ。けれど、とても幸せそうな子どもだ。そんな彼を独占できていることを、柚春は誇りたくもなっている。
「急にしてもらいたくなってねぇ、膝枕。でも、もうメアリに頼んだら叱られるから、きっと」
「『いまのウォルターさまは私には重すぎます！』とか？」
「言いそう」
　くすぐったそうにウォルターは笑った。
「あ、ごめん。重くないかい？　柚春」
「大丈夫。僕、ワットが思ってるよりずっと頑丈なんだよ」
「頼もしいなぁ。だけど、とってもやわらかいよ。あれだ、怪獣迎合、じゃないや、外注ゴーゴー？　じゃなくてえーと」
「『外柔内剛』？」
「そう、それそれ。英訳すると『gentle in appearance, but tough in spirit』ってとこになるかなぁ。こんなこと年下の子に言うの変かもしれないけど。僕はいま、安心に包まれている気がする」
「安心していいよ、ワット。眠る赤ちゃんみたいに」
「バブー、とでも言っておこうか」
「本当の赤ちゃんになったらダメ」
　くすくすと笑いあう。
　ところで、とウォルターは言った。
「僕が膝枕のこと話したら、柚春は意外そうな顔をしたね？」
「そうだっけ？」
「そうだったよ。もしかして、別のこと想像してた？」
「お見通しだなあ」
　キッチンに通じるドアに柚春は目を向けた。
「僕ね、ケーキのつまみ食いをワットに提案するつもりだった。本当は、少し寝かせたほうがおいしくなるんだけどね、両方とも」
　チーズケーキは現在冷蔵庫、ガトーショコラも覆いをかけている。一分一秒経つごとに、味に深みが増すことだろう。
「でも、どうしても作りたても気になっちゃうから」
　これを聞いてウォルターは笑った。
「つまみ食いか。文字通り甘い誘惑だね」
「そう、こっそりと共犯になってもらおうかな、なんて。でもつまみ食いと言ったら」
　柚春はウォルターに顔を近づける。
　予告はしない。不意打ちみたいに彼の頬に口づけた。軽くではあるが、想いをこめて。
「これも、恋人になる前の『つまみ食い』……なんて」
　ウォルターは本当に眠りに落ちつつあるのか、ふわりと笑って、
「共犯になっちゃったなぁ」
　と告げると目を閉じた。
　かつて柚春は彼とならんで、遊園地の絶叫マシンで安全バーから手を離した。あれはイケナイコトだった。
　彼のチョコ菓子パッキーをほしがったのも、考えようによってはイケナイコトだ。
　そして今日のイケナイコトは、ぬくぬくの膝枕と、彼の頬への秘めごとめいたキス。
　イケナイコトだからこそ忘れられない。大事な思い出だ。
　メアリが戻ってくるまであと少し時間があるだろう。
　あと少しだけ、このままでいたい。