イケナイコトカイ｜リアクション

イケナイコトカイ

　すべてが終わったとは言わない。大団円はこの先だ。もちろん大団円があればの話だが。
　まずはひと段落、だな。とりあえず。
　桜井ラッセルは共通テストの結果をもう一度眺める。上から下まで。
　上着を脱ぎ捨てワイシャツも捨て、シャツ一枚で校庭をダッシュしたくなるほどの高得点とまではいえないものの、期待を上回る成績だったのは事実だ。とりわけ、苦手教科の英語がいい具合でおさまったのが嬉しい。たとえ追い風参考記録であろうと、自分のなかでは表彰台に値する結果だったといえよう。
　もちろんまだ二次試験がある。それでも落ち着いて試験当日を迎えられそうだ。
　だからといって気が緩んだわけじゃないんだが――。
　なんとなく気が向かず、ラッセルは本日の登校を見合わせた。
　行ったほうが勉強にはなるんだよなあ。実技試験だって、積み上げてきた経験がものを言うっていうし。
　桜花寮の一室、寒さを気にせず窓を大きく開き、窓辺に座って空を見上げる。
　ルームメイトは登校した。なので部屋にはラッセルひとりだ。塗装の剥げかけた鉄フェンスに肘をつき、動かないし動く気配もない薄曇りの空の沈黙を見上げている。
　風は冷たかった。冬ですよという既成事実を告げるようなおざなりの雪すら舞っている。この程度なら積もることはないだろう。ただ、グレーの背景に申し訳程度の白色をそえるだけであっても雪は雪だ。
　どんどんと部屋のドアを叩く音がした。
「押し売りなら間に合ってますけど」
　ぼんやりとラッセルは応じたものの、お構いなしに扉が開いた。
「よう」
　ドアを開けたのは海道千里（かいどう　せんり）だ。「さみぃなこの部屋」などと言いながらずかずか入ってくる。
　あいかわらず無遠慮なやつだ。
　でもあいかわらず、明るいやつだ。
　部屋の温度が、たちまち一度上がった気がする。
「同居人は？」
「学校」
「ラッセルは行かないのかよ？」
「ご覧の通り俺は」しばらく言葉に迷って、ようやく思い浮かんだ言葉を返す。「自室の警備だ」
　そうかいと当たり前のように言って千里は部屋の中央にあぐらを組んだ。
「共通テスト、結果どうだった？」
　他の人間なら躊躇しそうなことを単刀直入に訊いてくるではないか。
　質問には質問で返そう。
「千は？」
「楽勝」
　千里のことだから、まずまちがいなく言葉通りだろうとラッセルは想った。アーソウデスカ結構ナコトデスネー、と嫌味のひとつも吐きたくなったものの、実行すれば自分がみじめになるだけだ。それに、言われたところで彼はなんとも思わないだろう。
　考え直してラッセルは言う。
「よかったな。俺もいい感じだった」
　数値を明かす。
「そうかー」しみじみと千里は言うのである。「嬉しいよマジで」
　友達の喜びを自分の喜びとして受け止められる、それが千里という男なのだ。なんの邪念もない様子で笑って彼は言う。
「なら、無事行けそうだな。芸術学部！」
「いや美術の世界は、なにがあるかわかんねーし」
　甘いモンじゃねーんだよと意図的に憎まれ口を叩きながら、それでも本心は、涙がこぼれそうなラッセルなのだ。
　応援してくれる人がいる。
　喜怒哀楽をわかちあえる友がいる。
　これ以上幸せなことがあろうか。
　千里と疎遠になっていた期間があった。彼の存在が過去の思い出になりかけていた時期だ。にもかかわらず千里は、また友人として戻ってきてくれた。しかもこうして、要らぬ世話まで焼いてくれるのである。
「ところで」千里は言う。「客人にお茶でも出さないのかよ」
「厚かましーんだよ」
　言いながらもう、ラッセルは窓際を離れコンロに向かっている。コーヒーと菓子くらい出してやろう。コーヒーはベトナム製のインスタントだし、茶菓子と言ってもピーナッツを加工しただけのイージーな駄菓子だが。