イケナイコトカイ｜リアクション

イケナイコトカイ

　公英の命の炎は消えかけていた。
　目を閉じ、ぴくりとも動かなくなったのである。
　だがこのとき、ガタッとギターケースが倒れた。
　公英がふさぐ格好になっていたドアが内側に開いたのだ。公英は店内に倒れ込む。
　立っていたのはがっしりしたアフリカ系の男性だった。六十歳くらいだろうか。頭にはまったく頭髪がない。英語だったので萌々子には正確に聞き取れなかったが、「こんなとこで何してんだ！　死ぬぞ！」と彼が言ったことくらいは理解できた。
　公英は後方に倒れ込んだまま起き上がれない。だがかすれ声で、
「Get a life.（ほっといてくれ）」
　と言った。東海岸仕込みの、実にお上品な英語である。ほっとけるわけがないだろう！　というニュアンスで男性は怒ると、公英の体を引きずって店内に入れ電気をつけた。テーブル席に公英を座らせピザを温めて戻ってくると、食え！　と押しつけ、飲め！　と温めたワインをまた押しつけた。
　以下、やりとりはやはり全部英語だったが、公英のなかにいるおかげだろうか、なぜだか萌々子にはするすると理解できた。
「ぼ、僕は自立した人間だ、ほどこしなんて……」
　自立や独立という意識にはどうしてもこだわりがあるらしい、公英はそう強がった。
　公英が助けを得られたことに萌々子は胸をなで下ろしていたが、このとき直感的に、
（これは怒られる流れですね）
　と考えた。『凍死しかかっといて何が自立だ！』とか『飢え死に寸前のやつが独立だなんて百年早い！』とかなじられると思ったのである。
　だがちがった。男性はニヤリと笑うとこう言ったのだ。
「そいつはちがうな、ボーイ。自立ってのは、本当に困ったとき、誰かに助けを求めることのできる人間のことを言うのさ」
　レンジで温めただけだがアツアツの、というかちょっと熱すぎるくらいのピザを男性は公英に示した。
「金がないのか家がないのか知らないが、自分の資源が尽きたとたん死んじまうようじゃあまだまだだ。いざってときには自分でできないことを頼めるように、頼める相手や国の機関なんかをちゃんと知っておかなきゃな」
　公英は両手でピザをつかんだ。すすり泣きしながらピザにかぶりつく。
「……ありがとう。ありがとうございます……っ」
（この人に助けてもらえたんですね）
　まるで早送りを見るように、この後の公英についての情報が展開されていった。
　この男性のおかげで公英は一命をつなぎ止めたが、それにとどまらなかった。
　彼はライブハウスのオーナーと知り合いだったのだ。紹介をうけて公英は裏方兼空いた時間のパフォーマンス要員として雇ってもらえた。アメリカの物価は上がる一方だから昼も夜もバイト三昧のようだが、それでもすこしずつ、ソロアーティストとして認知されるようになってきたらしい。
　枯死しかけた夢が息を吹き返したのだ。いつか花咲く日がくるかもしれない。

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　すっきりと萌々子は目覚めた。布団から身を起す。時計を見ると目覚ましをかけていた時間より三十分も早かった。
　ただの夢――ではなかったですね。
　あれは現実でした。二年前の、お兄様の。
　公英からの連絡が久々に入ったのは、萌々子が追体験した光景から約一ヶ月後、二年前の四月末のことだった。以来また、ぽつぽつとではあるがメールでのやりとりはつづいている。考えてみれば公英が生きているのを萌々子は知っていたのだ。だが過去にいたあのときは、本当に死ぬのではと危惧した。
　私がお兄様の過去を視（み）たこと、お兄様は気がついているのでしょうか……？
　枕元のスマートフォンが振動したので萌々子は心臓が口から飛び出しそうになった。
　直感は的中していた。
　メールが来たのである。ボストンの公英から。
　やはり私たち兄妹には、通じているものがあるのかもしれません。
　緊張気味にメールを開く。『萌々子、いきなりだけど俺の過去に存在してなかった？』などという直球の、そして萌々子以外の人には理解不能な文面を想像したがさすがにちがった。
　兄のメールは単なる日常報告と雑談だった。先日、元デッド・ニクソンズ（萌々子にはまったくわからないが知る人ぞ知るバンドらしい）のギタリストのライブでオープニングアクトをつとめたこと。大御所の前で緊張したがなんとか最後までこなせたうえ、その大御所にも褒められたことなどが得意げに書いてあった。

　お兄様、元気で活動されているようですね。
　でも。
　萌々子は何度も文面を読んで返信をこころみたものの、書く手はどうしても止まってしまった。
　お兄様が隠していたこと、知ってはいけなかったことを見てしまった私はどうすれば……。
　入力待ちのカーソルが、点滅するのをじっと見つめている。

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