【思ひ出のひと時】

「……叔父さん、暇なの？」


　津島 直治がぽつりたずねたのも無理はありません。特に用事もなく、叔父・柏村 文也の経営する古書喫茶『思ひ出』でも手伝ってあげようか、と意気込んでやってきたら、叔父さんはカウンター席を陣取り優雅にコーヒーをたしなんでおりました。
　お店にはお客さんも数名おりますけれど。といったあたりを指摘してみると、文也叔父さんは肩をすくめて悪びれず言ったものです。
「もちろん仕事中だとも。俺くらい真面目な喫茶店経営者をほかに見たことがあるかい？　なあナオ」
「普通の喫茶店は、店長が仕事中に自分用のコーヒー淹れないと思う」
「そいつはちょいと視野がせまいねぇ。世の中は広いんだ、物事はもっと大きな視点で見つめないと」
「はいはい。手伝いに来たんだけど、なにかやることある？」
「ない」
「やっぱり暇なんじゃない……」
　『思ひ出』は直治もお気に入りで、また居候の身でもあり、ちょくちょくこうして手伝いを申し出るのですけれど……当の叔父さんがこの調子なものでして。直治の好意はしょっちゅう空ぶり、なんだかんだと自分もカウンターへ腰かけ、読みかけの本を堪能する。なんてことも少なくないのでした。
　古書喫茶の本は購入することもできますので、時に買われてしまって無くなっている、なんてことも起こります。幸い、先日から読み進めているディケンズの『オリヴァー・ツイスト』は売れてしまうことなく、書棚に収まったままでした。なんとはなしに手に取って読みはじめたものですけれど、重苦しく過酷な主人公の人生にすっかり感情移入してしまい、続きが気になっておりました。
　コーヒーを淹れてもらい、黙々と読み進めることしばし。
「……叔父さん？　仕事してる？」
「してるしてる。超仕事中だとも」
　そういう叔父はいつのまにやら直治の隣に腰かけ、自分も推理小説など開いて読みふけっています。
「いや、サボってるよね。カップ洗うとか卓を拭くとか、いろいろあるでしょ」
「サボってない、サボってるわけがない。これはねえ、ナオ、業務の一環なんだ。ほらあそこのお客さんを見てみなよ」
　文也の指すほうを振り返ると、奥の席にすわってうっすらと笑みを浮かべ、静かに詩集を耽読するピンクの髪の女性。直治も顔は知っている、常連客の胡乱路 秘子です。
「経験の足りないお前には、俺がサボってるように見えたかもしれないけど」
「うん。見える」
「客を見てるんだよ。彼女のカップはもうすぐ空になる、そこですかさず声をかけるわけだ」
　と言うなり立ち上がり、文也はコーヒーポットを手にお客のもとへ。
「やあお客さん、コーヒーのおかわりはいかがかな？」
「あら。では、いただきます。いつもタイミングばっちりですね、んふふ♪」
　どうにもいい加減、フマジメ～に見える叔父ですから、たまたまじゃないの……？　と直治などは思ってしまいますけれど、どうも文也叔父いわくそれは素人考え。であるのだそうです。本当かなあ？　真面目な甥っ子は首をひねります。
　とはいえまあ、そうやってこのお店が回っているのは事実。お客は店の蔵書や直治もお気に入りの素敵な雰囲気のみならず、店主たる彼の人柄にも惹かれてやってくるのでしょう。
（……あれでけっこう、やり手？　なんでしょうか）
　頭に浮かんだハテナマークは消えませんけれど、それもしばらくすれば、開いた本に没頭するうちどこかへまぎれてゆきました。



　もちろん仕事中です。甥っ子がナンと言おうと、ジットリ目で疑念を投げかけてこようと、これが仕事ったら仕事なのです。
　文也の信条です。お客には過剰に干渉せず。といってほったらかしにもせず。ベストなタイミングを見計らいおかわりをすすめるのもそう。タイミングは重要です。注文をとるにも雑談をふるにも、お客さんそれぞれにふさわしい瞬間というものがあるのです。
　それを見極めるための観察はお仕事の一環として重要、なのですけれど、もちろんじろじろと無遠慮に眺めるわけにはいきません。カップを拭いながら、コーヒー淹れたり軽食を用意しながら、時に文也自身も本に没頭するフリをしながら（もちろんフリですよ）、さりげなく探りを入れるのが大切なポイントであります。
　だからこそ文也と客たちの会話だってぽんぽんと弾むのであり、彼とのふれあいをひとつの目的として訪れるお客もいることでしょう。
「……なんて、かくいうわたくしもそのひとりなのですけれど」
「おや、そうかね？　それはそれは、ありがたいお言葉だねえ」
　たしかに秘子は常連で、訪れるたび注文のひとことふたことに留まらず、なにかしら会話をかわしていきます。近頃は仕事が順調ですごく楽しいのだとか。飼っている猫がやんちゃで困っているけれど、そこが可愛いのだとか。本探しを頼まれたこともあります。効率的なボイストレーニングや基礎的な体力づくりについての実用書を探しているとかで、文也は蔵書のラインナップはもちろん、仕入れのついでに何冊か見つくろってあげました。
　古書喫茶の本来の意義はあくまで、お客が読書を楽しむこと。飄々とした店長ながら、そのための努力は惜しみません……たとえそうは見えないとしても。
「このお店へ来て、コーヒーをいただきながら本を手に取り、無心にページをめくっていると、なんだかほっとします。こうして店長さんとお話をしておりますと……んふふ。来たときよりもなぜだか、身が軽くなっているような気がいたしますね」
「それはそれは。喫茶店冥利に尽きるね」
　こうしたお客の笑顔を、文也は何度となく見つめてきました。そのたび文也自身も、どこか心あたたかくなりました。
　ちゃらんぽらんに見えても、甥っ子くんにはイマイチ信用されてなくても、これできちんと店長さんをやっている文也なのでした。



　気がつくと小一時間が経っておりました。波乱万丈の物語から顔を上げると、
「やっぱり暇なのでは……」
「いやいや、絶賛仕事中だから」
　文也は隣でちくちくぬいぬい、なんでかお裁縫にいそしんでおります。
　なんで？　と甥っ子の顔に、文也はにんまり笑んでみせました。
「栞だよ。刺繍入りのね。店に置くためのね、だからこれは全然まったくサボりじゃない」
「ああそう」
「というわけで、ナオもやってみなよ。手伝いに来たんでしょ？」
「いや、食器洗いとか古書整理とか、そういうのかと思ってたんだけど」
「まあまあ、細かいことはいいじゃん。ほら、作り方教えてあげるから」
「というか俺、あんまり裁縫得意じゃないからね」
「ヘタでもいいんだよ、それが味になるからねぇ」
「適当だなあ……」
「栞ができたら、ブックカバーもつくろう。お客さん喜ぶよぉ、きっとね」
　叔父と甥っ子、並んでちくちくぬいぬい。もちろんお客さんもおりますけれど、この距離感が……そう、まさに適当！　なのです、ちょうどイイという意味で。



　今日もばっちり平常運転。いつものようにゆったりと、いつものようにほっとする、古書喫茶『思ひ出』は旧市街の片隅でひそやかに営業中です。
　本好きなら誰でも大歓迎！　読書嫌いだって、落ち着いた店内でコーヒーをいただきながら過ごすひと時は、きっとお気に召しますよ。
　誰でもお気軽に、おいでください♪

「待ってるよ～」