雪帽子、目深にかぶって｜リアクション

雪帽子、目深にかぶって

　今日は特に気温が低いようだ。近頃は寒暖差も厳しく体調管理にも難儀する。殊に声優の卵たる落合まゆらは喉のケアに人一倍気を使う。冬場の乾燥は大敵だ。もちろんお肌にだって良くない。
　日課のトレーニングで汗をかき、朝風呂でそれを流して有意義な休日の始まりを過ごしたまゆらだったが、自宅へ戻るなり寝落ちを喫してしまった。今季注目アニメのテーマソングなど流しつつ寝転び、読みかけの漫画を消化しようといういささか怠惰な行いが良くなかったかもしれない。多忙を極めるだろう新しい生活を前に、希少な休みであったはずなのに。
　少しでも今日という日の印象を好転させるため、まゆらは微睡みの重さがじんわり残る身体をぎしぎしと動かし外へ出た。既に時計は午後六時を回っているがしかし、これよりの過ごし方如何で挽回も利くだろう。多分、と己に言い聞かせる。
「寒っむ……！」
　吐息で手のひらをあたためる。暖房の効いた屋内では冬を意識することも無かったが一歩外へ出たなら、しんと冷え込む空気が肌を苛む。
　さてどう過ごしたものか？　やみくもに飛び出したが故に少々迷ってしまう。夕食にちょっと美味しい物を食べるでもいいし、シーサイドタウン駅に出て水族館を覗いたり、映画を見るのもいい。決められないのでねこったーを覗き大衆の心理に準じてみることにした。
「本格フィンランドサウナ店が寝子温泉街にオープン。旧市街の和菓子屋さんのおしるこセットが絶品。星ヶ丘アイスストリートのライトアップされた氷像がサイコーにキレイ、製作体験も楽しいよ、かぁ」
　心は決まった。

　星ヶ丘駅前はその名を表すかのように星のごとく煌めいていた。
「すご……」
　まさに今飛び立たんとする白鳥は大空を見上げて翼を広げ、象の親子が雄大な大地を踏みしめる様は地響きさえ感じられそうな程だ。実に繊細にして精緻、氷の芸術その真髄を魅せられた思いだ。
「良く出来てるなぁ……あっ」
　視界の端に何となく見覚えある造形を認め駆け寄ると、まさしく先ほど漫画を読み耽りながらも聞き入っていたテーマソングがオープニングを飾る、今季からの冬アニメの主役級キャラクターではないか。デザインの秀逸で話題となり、激しいバトルシーン満載の予告動画が公開されるやねこったーのトレンドにも躍り出た注目作だ。それを再現した氷像はこれまた出来が良く、思わず食い入るように見てしまう。
「この子自身のデザインとか性格設定もいいけど、声優さんの演技がまたいいんだよねぇ……」
　まぶたを伏せれば寸分違わぬ声質やタッチで再生された。プロの声優恐るべし、というのが第一印象。次点は憧れ。いつかは自分も！　と意気込んだ。まゆらが人気アニメの主役を務める日だっていつか訪れるかもしれないではないか。ねこったーのトレンドに名前が挙がったり話題になったりするかもしれないではないか。
　気合を新たにしつつキャラクターと同じポーズを取って自撮りなどしていると、氷像製作体験の文字が目に入った。
「体験、って自分でも作れるんだ？」
　迷わず申し込むことにした。
　案内された仮設テントの体験会場はひんやりと冷えていた。テーブルの上に真四角の透明なキューブが並び、何組かの体験客らがノミを持ってそれを削っている。道具の扱いや制作のコツなど軽い講習を受け、さっそく製作体験へ挑む。
「さて何を作ろうかな」
　氷像の元となる氷のキューブは表に並ぶ芸術品たちと比べれば大きくはないが、それでも一つの作品を削り出そうとするなら少々骨が折れそうだ。
「うん。よし」
　思いきりの良いまゆらはすぐにもテーマを定め、ノミを使い始めた。

　一心に氷を削る。素人故に時おり刃先が滑りるが気にしない。イメージはイメージだ。実際に出来上がったものがまゆらの作品となるのだ。手のかじかみも足元から這い上るような冷気もしばし忘れ、無心で削り続けた。
　はっとして我に返る頃にはこれが中々、形になっている。始めてなのに大したものだ。
「あたし、才能あるのかも？　なんてね♪」
　大まかに当たりをつけたらあとは細々とした部分を形作ってゆく。意気込みは大胆に、作業は繊細を心掛ける。
「……ん、できた！」
　やがてシンプルな四角形に過ぎなかった氷像はまゆらの手によって、どこか神々しい天使の像へと生まれ変わっていた。細部の仕上がりは若干拙くも、やや遠目に見れば見栄えも良い。
　いずれ溶けてしまう氷であるのが残念だが、儚いからこそ美しくもある。一緒に記念撮影をしてくれるというので、まゆらは片足を跳ねさせてアイドルさながらのポーズを取りながら氷の天使と写真の中へ収まった。
　作品はしばらく会場の一角へ飾られるという。見る人を喜ばせてくれればいいなと思う。
「うん。楽しかった～」
　そろそろ午後八時。小腹も空いてきたから、今度こそどこかお店に入ってディナーといこうか。
　寝過ごした残念な気持ちももはや霧散して、まゆらは素晴らしい一日を美食で締めくくるべく星ヶ丘の街を散策した。

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