雪帽子、目深にかぶって｜リアクション

雪帽子、目深にかぶって

　星ヶ丘アイスストリート、なるイベントが開催中とのことだ。稲積柚春の瞳はきらりと輝いた。氷像の展示やその製作体験が楽しめるほか、ちょっとしたスケートリンクも設営されているらしい。何と素敵だろう。ウォルター・Bの手を取り、優雅に氷上を滑走する様を夢想する。何と、何と素敵だろう。
　柚春の指は躊躇わずスマホの液晶を走った。新年の彼はゆっくり休んでいるだろうか、暇を持て余していたりするだろうか。先日などは年明けに大掃除のやり直しをする羽目になったが、メアリ・エヴァンズが目を光らせているなら怠惰なことはできないかもしれない。とはいえ柚春からのお誘いくらいは、できるならお目こぼしを頂きたいところだ。呼び出し音が鳴り、眠そうな彼の声が聞こえた。

　星ヶ丘の瀟洒にして楚々とした佇まいはイベントのさなかにあっても不思議と変わることなく、行き交う人々の喧噪もどこか落ちついて穏やかで、彼らの一挙手一投足まで上品に見えてくる。
「あれから家事、してる？　メアリさんに怒られてない？」
「ははは」
「いや、はははじゃなくて……」
　どういう感情か分からない笑みを浮かべたウォルターの袖をくいと引く。まあ、何となく察しはつくが。
　冬仕様の彼の装いを堪能しつつ、氷に彩られたメインストリートを歩む。立ち並ぶ氷像たちのモチーフは様々だ。寝子島においては外せない定番、サンマさんやマンボウくんの像は愛嬌がありながらも細部まで良く出来ている。その道のプロが手掛けたという鳳凰やら龍といった題材は凄まじく精緻で、羽の一枚髭の一本に至るまで隙が無い。一方でアマチュアの制作した像たちも飾られており、この雑多な並びとそれを受け入れる大らかさがいかにも寝子島のイベントといった風情で楽しかった。
　イルミネーションに照らされた幻想的な道を二人で歩むと、件のスケートリンクが見えてきた。広場に特設された真四角のリンクで、今は子どもたちが数人滑っているくらいで十分にスペースは開いているようだ。
「よーし、行こうワット！」
「スケートかぁ、久しぶりだからなぁ。滑れるかねぇ」
「ワットはやったことあるんだ？　僕も何度か滑ったことあるけど、上手くはないかな……前にしか滑れないし」
「ま、上手に滑る必要もないんじゃない？　楽しめればＯＫＯＫ」
　彼の言う通りだ。
　スケート靴をレンタルし、柚春はおっかなびっくりリンクに立つ。
「うわ。わ、わ。わわわ」
　本当に何度かやったことがあるという程度で、寝子島においては初滑りだ。いくらか身についたはずの感覚もすっかりどこかへやってしまったが、少なくとも立つことはできた。そろり、そろりと前へ進む。
「わ！」
　見事につるりといった。片足が跳ね上がり両腕は空を掴もうともがく。背に氷の床が叩きつけられるその直前、しかし幸いにして衝撃は訪れなかった。
「おっと。大丈夫かい」
「あ、ありがと、ワット……スケート、上手なんだね」
　柚春を受け止めたばかりでなく、ウォルターは見事な滑りを披露してくれた。淀みなく氷を蹴って進み、時に後ろ向きに滑り、ジャンプして一回転までしてくれるサービスの良さだ。少し練習すればプロのフィギュアスケーターにだってなれるんじゃないだろうか。なんて思うのは柚春の贔屓目か。ともかく彼のスケートの腕前は中々のものだった。
　するりと眼前へすべり込んできて、彼は柚春をさらう。
「少し練習してみようかぁ。並んで滑れるくらいにね」
「う、うん。頑張る！　教えてね、ワット」
　何度か尻餅を突きつつも、数十分の練習で彼と併走できるくらいにはなった。周囲に人が少なくなったタイミングを狙って、二人はリンクへ二重のラインを描いた。

　身体が少し冷えたから、会場近くに止まっているキッチンカーでホットココアを二人分注文した。程よい甘さが口の中にとろける。
「いやぁ、すっかり遊んじゃったねぇ」
「ワット、あんなに滑れるなんて！　びっくりしたよ」
「はは、身体が覚えてたみたいで良かったよぉ」
　彼の吐く息は白く、夢中で滑っていたからか鼻先は少々赤い。柚春もきっと同じだろう。
　何度も転びかけたが都度、彼は抱き留めてくれた。そのたび柚春の胸は高鳴ったし、頬も鼻先も少し落ち着いてきた今と比べものにならないくらい紅潮していたはずだ。
　どきどきさせられっぱなしは何だか、少々悔しい。嬉しくも、やられっぱなしではいたくない。そんな風に思い、柚春はふと背伸びをして、ココアを含む彼の頬へ唇をそっと寄せた。

「今日はありがと。ワット。楽しかった」
　ぱちりと目を見開いた彼の頬の赤さまでも増したように見えたのは、気のせいだろうか。

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