雪帽子、目深にかぶって｜リアクション

雪帽子、目深にかぶって

　何度訪れても緊張する瞬間がある。早川珪のアパートのインターフォンを押す時などがそうだ。髪は乱れていないだろうか、今日のコーデはちぐはぐになっていないか。受験勉強に力を入れすぎて昨夜などは少し夜更かしもしてしまったが、目の下にくまが出来ていたりしないだろうか。考えれば考える程に緊張してしまう。
　しかしそれ以上に心地良いのは、大好きな人と共に過ごす一時を想像することだ。綾辻綾花は心浮かれるままにインターフォンを押し込んだ。
「ああ、いらっしゃい。悪いね、わざわざ」
「いいえ、気にしないでください。こんにちは、珪先生」
　顔を出した珪は申し訳なさそうにはにかんだ。
　生真面目で責任感の強い彼は生徒がたびたび自分の部屋を訪れることに対し常態化せぬよう気を使うそぶりもあったりするが、今回の綾花の来訪は必然あってのことだ。と、少なくとも綾花は考えている。
　近く、遠方に住む彼の両親が息子を訪ねるついで、寝子島を観光にやってくるかもしれないとのことである。
「まあ、放っておいても二人で楽しんでくれるとは思うんだけど……」
「駄目ですよ、ちゃんともてなしてあげないと！」
　言うなり綾花は部屋の中央、テーブルの上へと持ち込んだ書籍の数々を積み上げた。寝子高の図書室や寝子島図書館で借りたもの、書店で購入したもの、綾花の書棚から引っ張り出してきたものと様々だが共通しているのは、寝子島の著名あるいは穴場の観光スポットに関する記述が含まれていることだ。これらを参考資料とし、珪のご両親おもてなしプランを吟味しようというのが本日の趣向である。
「確か、その土地の郷土料理とか、歴史的建造物などがお好み。ってことでしたよね」
「うん、そうみたいだよ」
「それならまずは定番、寝子島神社ですよね！」
　寝子島の特に旧市街へスポットを当てた冊子を取り出して広げる。昨年発行されたものだから情報はまだ新しい。参道商店街から寝子島神社、寝子温泉街やロープウェイについて、それに旧市街の多彩にして古き良き観光名所にも触れられている。
「神社は外せないよね。あの厳かな雰囲気は気に入ると思う」
「旧市街を散策して、美味しい和菓子や和食をいただいて。寝子島神社に参拝してから、寝子温泉街で一泊。温泉でゆったり疲れを取ってもらって……なんて、いいんじゃないですか」
「うん。いい感じだ」
　挙げたものはノートへメモしていく。
「寝子温泉は猫やお猿が入りに来たりすることもあるんですよね。きっと楽しいですよ」
　あっという間に一日のプランが出来上がってしまった。まあその通りに行動してもらう必要もないが、一つの指針としては上々だろう。
　綾花は想像の羽を広げ、インスピレーションが溢れ出す。
「二日目のお昼は寝子島漁港で、海鮮かき揚げ丼を食べましょう。私がバイトをしてた食堂がオススメです。サクサクジューシーで具もたっぷりで、美味しいんですよ」
「ああ、いいね。海鮮は好きだよ」
「移動はぜひ、ねこでんで。ゆっくり景色を眺めながら、シーサイドタウンへ行きましょう」
「シーサイドタウンもいいところがいっぱいあるよね。キャットロードは僕もお気に入りだよ」
「アウトレットの大観覧車とか、海浜公園もいいですよね」
「観覧車は外せないね」
「はい。あっ、ここはどうですか？　こっちも素敵かも……！」
　一度乗ってくると、まさに走り出した寝子電が如く次々に訪れたい場所が浮かんでくる。綾花の持ってきた資料をとっかえひっかえ、プラン構築に没頭した。
　いつのまにやらご両親ではなく、自分たちが連れ立って寝子島を巡ることを前提として話題が回っていることに二人が気づいたのはしばしの後だった。

　旧市街、シーサイドタウンに星ヶ丘と、寝子島を一通り練り歩いた頃には手元のノートのページは一杯となっていた。途中ではいささか趣旨がブレたが、見返してみても魅力的なスポットが並んでいる。見事な充実ぶりだ。
「どうですか？　珪さん。ご両親に喜んでもらえそうですか……？」
「そうだね」
　ノートを手に取り穏やかにそれを読み込む間、彼の顔をじっくりと眺める。
「うん、良さそうだ。多分楽しめると思う……ちょっと多すぎるから、もう少し絞り込んだほうがいいかもしれないけど」
「ふふ、そうですね。ちょっと頑張りすぎちゃいましたね」
　やや詰めは甘いが、きっと参考になるはずだ。珪と両親がこのノートをもとに、寝子島で良き時間を過ごせたらと願ってやまない。
　二人は見つめ合い、微笑んだ。

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