雪帽子、目深にかぶって｜リアクション

雪帽子、目深にかぶって

　思わず感心してしまう。ほう、と吐息が漏れた。
「え、何？　さゆる。何かおかしい？」
「ううん。毎日続いてすごいなって」
　朝鳥さゆるの同棲中の恋人、姫木じゅんは万事に置いて勤勉なタイプではないと思うのだが、日々のボディメイク・ボディメンテだけは欠かすことがない。キャバクラ嬢、その道のプロとして真摯に向き合い、商売道具を常に磨き上げることに余念がない。ニチアサの女児向けアニメを流しつつ、カーペットにヨガマットを敷いて活発に汗を流す彼女を眺めているとやはり、ほうと感心してしまうのだ。
「さゆるもたまに、付き合ってくれるじゃない」
「気が向いた時はね。毎日はちょっと」
「のわりに肌ツヤもきめ細やかさもスタイルもバッチリなのよね、あんたって。若いっていいわねぇ」
　と言うじゅんもさゆると並び立てばそう変わるものでもなく、むしろそんな幼い顔をして何を言っているのかと思ったりするが口には出さずにおく。ともかく一回りも年上の恋人が並ならぬ努力を重ねてその美貌や体型を維持し続けているのを、さゆるは何だか己の事のように誇らしく感じたりするのだった。
「で、今日はどこに行くって？」
　さゆるが尋ねると、じゅんは開脚したままスマホを手早く操作し画面を掲げて見せた。
「フィンランド式サウナ。最近オープンしたんだって。すごくいいって評判なの」
　にっこりと笑う。決して嫌々ながらに続けているのではなく、日々の運動を楽しめるたちだからこそ続いているのだろう。サウナで整う、なんて優雅な休日の使い方もその一環なのだ。
　今日はさゆるもそれに付き合うつもりだ。
「楽しみね」
　満面の笑みは少女のようだ、とはやはり口に出さずにおいた。

　フィンランド式サウナは『Tuner』というらしい。何とも飾りのないストレートな店名だ。
　最近は個室付きのサウナも増えてきたそうだ。この店にもゆったりと過ごせる個室があり、二人で入ることにした。
「さゆるはサウナって初めて？」
「何度かあるわ……けど」
　ふと記憶のフラッシュバックに言葉を飲みこむと、何となく察したのかじゅんが続きを促すことはなかった。夜、行きずりの男たち、虚ろな快楽、さゆるの過去を占めるものたちについてじゅんにも語ったことがある。その過程に幾度か訪れたサウナ体験など、今は忘れてしまうのがいい。そう思ったのかもしれない。
　裸身にタオルを巻いて個室へ入ると、二人でも十分な広さだ。優しい木の香りが立ち込めている。さゆるも入ったことのある日本式のドライサウナに比べて温度が低く、強烈な熱波の刺激はないが代わりに、籠もるスチームがじんわりと芯から温めてくれる。肌にも優しい感じがする。
　じゅんと並んで腰かけると、四肢を投げ出し弛緩する。フィンランド式、なるほどとうなずいた。日本のサウナは高温故に時間を切って入らねばならないことも多いが、こちらはそんな制限もなく心行くまでのんびりとサウナを堪能することができる。
「はー。気持ちいい……」
「ええ。なかなかいいわね、フィンランド式」
「だよね、ちょっとハマりそう」
　ひしゃくに手を伸ばし、アロマ水を汲んで熱されたサウナストーンへかけると一気に蒸気が噴き上がる。それを存分に浴びればまさに、整ってゆく。まぶたを伏せ、堪能する。心身に凝り固まり欝々としたものがスチームに溶け霧消してゆくのが分かった。
　目を開けると、隣のじゅんがにやりとしてこちらを見ていた。
「……何？」
「いやー、ハマってますなぁ」
「やめてよ、もう」
「ふふっ。そういうナチュラルなさゆるの表情、かわいいなって思ってさ」
　低温なはずのサウナが、一気に室温を高めたような気がした。さゆるの頬はさぞ紅潮していただろう。
「……バカなこと言って」
　誤魔化すように立ち上がり個室を出ると、シャワーで軽く汗を流し、ウッドデッキで寒気にさらされる。日本式は水風呂だがフィンランド式は外気浴が主流だ。じゅんも少し赤い顔をして外へ出てきて、デッキの向こうに広がる緑の優しさを共に楽しんだ。
　火照った身体は落ち着いてゆく。しかし反面、じゅんの笑みが昂揚させたさゆるの気分はしばし、鎮まることがなかった。

　サウナを満喫した後は、切なく鳴き出した小腹を満たすことにする。
「さて、この後はどうする？」
「じゅんに任せるわ。何が食べたい？」
「じゃあ旧市街に下りて、『ねこだんご』のおしるこセットね！」
　手を繋いで歩く。じゅんの手のひらから伝わる体温に、サウナで浴びたアロマミストの名残りを感じる。柔らかく暖かなぬくもりに浸りながら、二人の時は過ぎていった。

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