あなたがここにいてほしい｜リアクション

あなたがここにいてほしい

　……？
「あっ」
　七瀬の口から声が漏れた。
　すっかり眠っていたらしい。時計を見るともう夜中ではないか。
　しまった。
　しっかり防寒してきたとはいえ、寒さで目が覚めたようだ。外でうたた寝するにはいい季節ではない。ましてやこんな山中となっては。
　そろそろ帰りましょう。
　スマホを見ても、緑色の通知ランプは点滅していない。黒い画面に自分の顔が写っているだけだ。
　ということは、ウォルターさんから返事はこなかったんだなあ。
　いくらか残念に思いつつ、膝の上の文庫本を閉じ栞を手にした。
　急に立ち上がったのがいけなかったのか。
　それとも風の悪戯か。
　七瀬の指先から逃れるようにして、ひらりと栞が舞った。そのまま栞はスキーヤーのように空気を滑り降りていく。丘から森へ向かっていく。
　追いかけないと！
　慌てて追った。リュックはそのまま、手袋も置いて飛び出す。
　栞は、ヒルガオの花をラミネートシートで綴じたものだ。七瀬の誕生花でもありいわば真夏の象徴、ゆえにか冬の夜を厭（いと）い逃れようとするかのように、飛んでいく速度を落とさない。
　待って。
　ウォルターさんからもらった大事な栞なんです。
　風よ止まって。
　だが七瀬を翻弄するかのように風はおさまらない。ヒルガオの赤紫も着地する様子を見せない。
　待って。

　ようやく見つけた。
　七瀬は必死で捜索を行ったのである。茂みに踏み入った。草むらにはいつくばった。ひょっとしたらと思って木にも登った。
　そうして長い時間をかけ、行ったり来たり歩いて惑って、やっとの思いで栞にかけられたリボン、その緑色に気がついたのだった。リボンを引くと栞の本体も常緑樹の葉陰から出てきた。
　やれやれ。
　疲労と安堵のあまり座り込みそうになる。
　だがその前に我に返った。
　ここ、どこだ。
　四方を見回すも木があるばかり、見知らぬ場所に来てしまった。しかもずいぶん奥深いところのようだ。
　ただでさえ道を外れた山中、しかも深更だ。完全に迷った。
　しばらく斜面を登ったが、足を滑らせて転倒する。
　下手に動くのは、危険ですね。
　怪我でもしようものなら動けなくなる。
　しばらく考えたがあきらめて、七瀬はポケットからスマホを取り出した。
　素直に助けを呼びましょう。格好悪いけど……警察に電話を……。
「あれっ」
　声が出てしまった。
　スマホの電源がつかないのだ。側面の電源ボタンをカチカチと押すも無駄。長押ししようとぴくりともしない。
　いつから電池が切れとったんでしょう。
　万事休す、七瀬は観念して座り込んだ。
　こうなったら、動かずじっとしていよう。
　明るくなれば、きっと道もわかるはずです。
　それにしても、手袋を置いてきたのはまずかったですね。
　冷える両手を袖に引っ込め、膝を抱えてできるだけ体温が逃げないようにする。
　いま何時でしょう。
　スマホを時計代わりにしているので時間がわからない。空は真っ暗、しんしんと冷えるので夜中であることはまちがいないが、明け方近いのかまだ二時頃なのか、それすら想像できなかった。
　しかもこういうときに限って、容赦なく風が吹いてくるのである。七瀬は木に体を寄せてさえぎろうとする。
　九夜山で遭難……？
　いやいや、そんな。
　明るくなればきっと大丈夫です。明るくなれば……。
　ダメだ。寒い。
　骨まで冷たくなってきた。凍えそうです。
　歯を食いしばる。両目をぎゅっと閉じる。
　こういうとき、独りは寂しいです。
　ウォルターさんがいてくれたら……。
　つい都合のいいことを考えてしまい、七瀬は泣きたくなった。
　そんな虫のいい話はないです。
　だったらこのまま、うちは。
　……ってダメですね。こういうときこそ心を強くもたないと！
　せいぜいあと数時間の辛抱です。
　あと数時間。
　あと。
　……。

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