新しき、年の始めに。｜リアクション

新しき、年の始めに。

　くぁ、と小さな欠伸と共に、月原想花は大きく伸びをした。

「っう～……」

　のろのろと起き上がって、眠い目をこすりながら洗い場に行き、歯磨きと洗顔を済ませる。何しろないない尽くしの猫鳴館、冷え冷えとした空気にぶるっと身を震わせて、痺れるほど冷たい水で顔を洗い、口をゆすげばそれだけで身体の芯まで冷えそうだ。
　う～、と寒さに身をちぢこめながら部屋まで戻り、久しぶりの制服に身を包む。制服ももちろん冷え冷えとしていたが、ぶるっ、とまた大きく身を震わせるうち、段々暖まってきた。
　ふぅ、と小さなため息。まだ脳みその奥の方に眠気がこびりついているようで、くぁ、とまた小さな欠伸をしつつスマホで時間を確認する。

（大丈夫、遅刻しない）

　鞄を手に、部屋を出た。その道すがら、鏡の前を通りがかって――そこに映る美少女を、信じ難い思いで見つめる。
　伏し目がちのアンニュイな表情が似合う、大人っぽいベリーショートのクールビューティ。どこからどう見ても典型的な地味子だった想花の面影は、もはやどこにも見当たらない。

（髪型1つで、ここまで変わるなんて！）

　鏡の中の自分を見るたびに、想花はそう思わずには居られなかった。髪型以外は何も、以前の想花と変わっていないのに――ヘアモデルまでする事になるなんて、本当に、信じられない。
　しばし鏡の中の自分と見つめ合ってから、はっと気付いてまた歩き出す。今日から新学期、いきなり遅刻する訳にはいかない。
　ゆえに足早に登校し、壁の時計で遅刻しなかった事を確かめてから、想花はきょろ、と眼差しだけで辺りを見回した。

（――居ない）

　もしかして、と去年から胸にこびりついていた不安が、じわりと大きくなる。その焦燥感に背を押されるように、想花は1年4組の教室を出て――あ、と足を止めた。
　居た。川上紗櫻都――もしかしたら、と不安にさいなまれてその姿を探していた、彼女。
　廊下の向こうにその姿を見つけ、ほっと想花は息を吐く。けれども、それ以上のアクションは起こさない――あれほど探そうとしていたのに、探さなければと思っていたのに。

（だって）

　あの時、話の流れで想花は自分の過去を話した。その事に後悔はないし、それゆえに紗櫻都が想花を避けるようになっても仕方のない話だとも思っているし。
　ただ、彼女が無事に学校に来てくれた、それが解れば十分だと――思っていた想花の視線が、紗櫻都の視線と絡んだ。――絡んで、しまった。

「……ッ」

　びくっ、と肩を跳ね上げ一歩、後ずさる。そんなつもりじゃなかったと、何度も脳内で繰り返しながらフリーズして動けない。
　そんな想花と絡んだ、紗櫻都の瞳が――ふわり、柔らかく笑んだ。

「月原さん、おはよう」
「おは……」

　それは、いつもと変わらぬ微笑み。避けるでもない、おもねるでもない、ただいつもと変わらぬ態度。
　ああ、だから、いつも通りに挨拶を返そう。――ただ、それだけでいいはずなのに。

「え……月原さん！？」

　つぅ、と想花の頬を一筋の涙が伝い、それを見た紗櫻都が慌てた顔になった。何か悪い事を言ってしまったのか、それとも何かあったのか――そう、目まぐるしく考えているのが見て取れる。
　そんな紗櫻都に、違うのだと首を振った。胸が詰まって、ひどく苦しくて、なぜだか言葉がなかなか出て来なくて――違うのだと、何度も、何度も首を振って。
　はっ、と短く浅い息を吐く。縋るように、胸元を掴む。はく、と何度か唇を動かして――ようやく想花は、違うんだ、と呟いた。

「月原さん……？」
「ごめん、紗櫻都さん……でも、ぼく、うれしいんだ……」

　そうしてどうにか紡ぎ出した、想花のかけ値のない本音の言葉に紗櫻都は――ふわり、微笑んだ。