新しき、年の始めに。｜リアクション

新しき、年の始めに。

　役所の仕事始めなんてものは、まあたいして面白くはないものだ。それでも3年目ともなればそれなりに、挨拶周りも仕事始めの雰囲気も慣れてくるものである。
　――という話をまさに仕事始めの日の朝、三折部朝衣はキッチンで忙しなく手を動かしながら語っていた。

「三が日の翌日から仕事なんてね。もう波が恋しいわ」
「昨日までサーフィンしてたのに？」
「それはそれ、これはこれよ」

　そんな朝衣の言葉に、婚約者の住沢遥人が面白そうな口調で問いかけるも、そうじゃないんだと力説する。そうしながらスクランブルエッグをさらに取り分けて、ちょうど焼き上がったトーストをその脇に添えた。
　コーヒーにはミルクを注いで、カフェオレに。目が覚めるような香りが部屋に漂って、スクランブルエッグのまろやかな匂いと、トーストの香ばしい匂いと交わり、美味しい三重奏を奏でる。
　その匂いを味わうように、遥人が大きく息を吸った。

「うーん、美味しそう」
「ありがと。さっ、食べましょ」

　そんな遥人に礼を言って、朝衣は慣れた手つきで皿とカップを並べる。今日の朝食は朝衣が当番、洋食屋のシェフをしている遥人に自信の手料理を振る舞うなんて正気の沙汰じゃない――といつも思うのだけれど、当の遥人が美味しそうに食べてくれるのだから、メシマズではないはずだ――多分。
　2人揃って食卓に着いて、同時に食べ始める。まずはスクランブルエッグ――うん悪くない、と確かめる朝衣の目の前で遥人は、いつもながら美味しそうにトーストに齧り付いた。
　うん美味しい、と目を細める。焼いただけよ、なんて謙遜と自己保身の間の気持ちで苦笑いすれば、愛情がこもってるだろうと言われて照れた。
　遥人は、いつもそうだ。――そして職業柄もあるのか、料理のコツやちょっとした小技も教えてくれたりする、優しさもある。

（おかげであたしも、最近は少し腕が上がったかも……なんて）

　例にもれず伝授されたコツに忠実に作ったスクランブルエッグを、朝衣はそう自画自賛する。もっとも、己惚れ過ぎたらどこかで手痛いしっぺ返しを喰らいそうだが――自分に自信を持つのは良いこと、のはず。
　ゆえに楽しい気分で食事を終えて後片付けをし、身支度を整えたら2人揃ってアパートを出た。途端、ビュゥ……と海から吹き付けて来る身を切るように冷たい風に、ブルッ、と揃って身を震わせる。
　はぁ、と白い息を吐きながらぼやいた。

「この前はサーフィンできるくらいに暖かったのに」
「冬だからね」

　仕方ない、と言わんばかりの遥人の言葉に、判ってはいても唇を尖らせる朝衣である。確かに、冬なのだから寒いのが正しいのだけれど。
　ままならない寒さへの愚痴や、今日の夕ご飯は何にするかという話なんかをしながら歩く道は、寒さなんか気にならない程に楽しい。他愛のない事を言いながら好きな人と一緒に歩くのが、こんなに幸せだなんて昔の朝衣には想像も出来なかった。
　嗚呼、幸せだ。
　そう思いながら歩いていたら、不意に目の前を何か白いものが過った気がした。え？　と思わず二度見したら、確かに白い犬が駆けて行く――否、あれは狛犬――？

「ねぇ、遥人。今、目の前を狛犬が駆けて行ったよね？」
「狛犬……に見えたね？」

　傍らの遥人に同意を求めれば、首を捻りながらも頷いてくれた。だが、問題の狛犬（？）はあっという間にどこかに行ってしまって、確かめるすべもない。
　ゆえに、首を捻りながらも朝衣と遥人は、それぞれの職場に出勤し。どちらも、とてもいい気分で仕事始めを迎えることが出来た――その夜。

「あ、大吉だ」
「朝衣も？」

　おみくじサイトで2人で引いたおみくじが、そろって大吉だったのだが――それはまた、別のお話。

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