どんなことがあっても｜リアクション

どんなことがあっても

「いくらですか」
　自分にこんな冷徹な声が出せることを瑛美は知らなかった。
「その『お小遣い』って、いくらですか」
「NACCHIさんヘルプ入りまーす」
　えっ、と成小瑛美（なるこ・えいみ）も議員秘書も声を上げていた。
　瑛美と秘書に割り込むようにして、ひとりのキャバ嬢がソファに座ったのである。目元が涼やかで知的な容貌だ。
　瑠住（ルース）、常勤ではないがときどき入るアルバイトだった。
「瑠住さんがヘルプって？」
　不定期出勤の瑠住だが人気は少なくない。顔を出せば指名もつく。常勤なのにいつまでたっても芽が出ない瑛美（NACCHI）こそがヘルプの立場ではないか。そもそもここに座っているのだって、沙央莉（三木桜咲香）のヘルプのはずなのだ。
「ディレクションがありまして」笑顔で流して瑠住はブランデーのボトルを手にした。「さあ、お客様グラスが空ですよ」
　瑠住は明かさない。客を送り出そうとしていた沙央莉がすれちがいざま、小声で自分に「六番見てあげて」とささやいたことを。六番というのはこの場所、六番テーブルのことだ。本来ディレクション（着席の指示）は黒服から出るもので、沙央莉がわざわざ告げるのは、まったくないとは言わないが異例ではある。沙央莉の口調と目つきから緊急事態を推測するのは容易だった。
　秘書の男は一瞬、不快な表情をうかべたがまたたくまに冷静さを取り戻した。
「いただきましょう」
　あきらかに作り物の笑みで受け、まもなく「失礼、先生からの連絡が」と言って携帯電話を手に席を立った。一分ほどで戻ってきて、
「今夜はとても楽しかった」能面のような表情で言ったのである。「――と、先生が言っておられる」
　財布を取り出す。
「まだ滞在予定なのでね、明日も来店したいとのご伝言です。今夜はあまり話せなかったので、次はNACCHI君を指名するかもとのお話もありました。では会計願います」
　そのまま着席もせず秘書は、チップですとふたりに紙幣を握らせて黒服を呼んだのだった。
　テーブルを片付けながら瑛美はつぶやいた。
「チップにしては……多くないですか」
　クラブ『プロムナード』ではチップの受け取りは禁止ではない。瑛美が受け取るのははじめてだった。
「さすが議員さん、お金持ちですねー」
　ちょっとした万年筆なら買える額、と瑛美にはピンとこない表現をして「明日は僕、いや、私は来れないけど」と瑠住は言った。「沙央莉さんはいるから大丈夫ですよ」
　どう返事したらいいのか瑛美にはわからなかった。
　ドレスにはポケットがない。なので折りたたんだ紙幣は瑛美の左手に握られている。
　私にもっとお金があったら、こんなもの。
　瑛美は左手を握りしめた。
　こんなもの――！