「客のタバコも覚えられんのか!」
成小 瑛美(なるこ・えいみ)からすれば、父親より上の世代のはずだ。ジャージ上下の高齢者、禿げ隠しなのかプロ野球チームのキャップをかぶっている。早朝のコンビニエンスストアで男は赫怒していた。いかにも面倒そうな口調で男が告げたタバコの略称、これを瑛美が問い返したというただそれだけの理由で。
「セッタンつってるやろが! オーナー呼べコラァ!」
まだ瑛美がバイト二週間目という事情などおかまいなしだ。男は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。品出しをしていた先輩店員が飛んで来てフォローしてくれたが、彼女の日本語に訛りを嗅ぎ取ったとたん男はますます激高した。
「日本で働くんなら日本語くらいちゃんと勉強してこいや!」
聞くにたえない罵詈雑言をさらにあと数十秒ならべ、それでようやく満足したのか男は大いばりで店を出て行った。「バイトの質は落ちる一方だな」なる捨て台詞を残して。
「大丈夫? 気にすることないよ」
ここじゃこんなの日常だからと先輩バイトは笑った。瑛美は「はい」と小声で返したが、しばらく震えが収まらなかった。
瑛美の朝は早い。五時には起きてコンビニエンスストアのレジ打ちバイトにむかう。わずか四時間とはいえ駅前ということもあって店は猛烈な忙しさだ。銃弾飛び交う最前線のような朝はあっという間に終わる。
本当は禁止されているのだが、瑛美の勤務店では廃棄食の持ち帰りが黙認されている。これは本当にありがたい。近くの公園で消費期限の切れたサンドイッチやおにぎりを大急ぎで食べ、水筒のお茶で流し込んで朝兼昼食とする。
曜日によって二番目のバイト先は異なる。今日は保護猫カフェ『ねこのしま』でのバイトだ。瑛美が本当にやりたい仕事である。猫たちの世話を焼いていると、ごく自然に笑顔になる。けれどこのところ鈴木店長(
鈴木 冱子)には元気がない。いつも疲れたような顔で「おはよう」と一言だけ口にして、あとは保護猫の件でほうぼうに電話し、ほぼ無言で帳簿をつけ店の掃除をしている。だから、「もう少し、待ってもらえる?」と言われたっきりの先月の給料について、瑛美はずっと店長に言い出せないでいる。
夜は正社員の仕事、クラブ『プロムナード』のキャバ嬢である。引っ込み思案の自分には不向きだと思いながらも、社会保険加入があって他のバイトとの兼業ができる仕事は他に見つからなかったのだ。
NACCHIなる源氏名にはどうも慣れないものの、予想に反して店は明るく、品のない客は少なくて店長の
アーナンド・ハイイドは優しいし、同僚たちもフレンドリーなのでそこは助かっている。ただ、瑛美はやはり接客が得意ではなく、ヘルプとして他の嬢の手伝いをするのが精一杯だった。同時期入社の
揚羽こと
烏魚子 一紗(からすみ・かずさ)はすっかり人気が定着し、とうにヘルプ専業から卒業して指名も入るようになったというのに。
今夜も主として
沙央莉(
三木 桜咲香)のヘルプに入った。店の看板スター的な
泰葉が大学進学のため惜しまれつつも勇退し、かわって沙央莉が不動のトップとなったため指名とテーブル移動が多い。
九鬼姫が休業しているここ数日ではなおさらだ。沙央莉にくっついて下働きしているだけでへとへとになってしまう。沙央莉は瑛美以上にハードな役割だと思うがまったく疲れを見せなかった。
閉店間際だ。テーブル移動の合間に、ぽそりと沙央莉が告げた。
「あんたさ。気をつけなさいよ」
「え、あの、ごめんなさい。私、ぼーっとしてて……」
「ちがう。用心しろってこと」
あのジジイ、と移動先のテーブルに沙央莉は目を向けた。初顔の客だ。島外から来た県会議員とやらで、秘書らしき眼鏡の男性と来ている。秘書のほうはスマートだが本人はぶよぶよしており、バスケットボールでも服の下に入れているのかと疑うほど腹が出ていた。今朝の暴言客と同年代だろう。
しこたま飲んで下品な素が出たか「こんな田舎にお前みたいな洗練された女がいるとはね」などと言い、よほど沙央莉が気に入ったのか三度目の指名となった。
「あいつ、あんたのこと舐めるような目で見てる。変な誘いがあっても乗っちゃだめよ」
「変な誘いって」
わけがわからない。客はずっと沙央莉とばかり話していた。興味があるとしても沙央莉に対してなのではないか。瑛美はテーブル拭きや水割り作りが忙しくてほとんど客と言葉をかわしていない。
沙央莉の言葉の意味がわかったのは、「先、ホテルに帰っとるわ」と議員が席を立ち、沙央莉が戸口まで送っていったときだ。
席には秘書と瑛美だけが残された。それまでほぼ無言だった秘書が、ここでようやく口をきいたのである。議員がゲラゲラと大声で笑う一方、秘書はたまにお追従を言う程度、酒にも手をつけなかった。
「先生は、君みたいな子が好みでね」
「はい……?」
「体面上、ああいう派手な女が好きな風を装っているが、実際は君のように都会ずれしておらず素朴な、なんというか、『おぼこい』子のほうが好物だ」
「……ありがとうございます」
どう返事していいのかわからず、とりあえず瑛美は頭を下げた。
「今夜、先生はおひとりで寝るには寒いとおっしゃっておられる」
秘書はプラスチックのカードを取り出してテーブルに置いた。
ホテルのカードキーだ。
「君、先生を暖めてさしあげなさい。『お小遣い』なら出す」
秘書に『おぼこい』と呼ばれた瑛美であろうと、さすがに彼の言っている意味はわかった。
変な誘いがあっても乗っちゃだめ――そう沙央莉さんは言ったけど。
瑛美の両親は失業した。弟は引きこもりだ。大学を一年休学し卒業までの学費を貯めている瑛美だが道のりは険しい。バイト三件をかけもちし夜はキャバ嬢として働いているもののどれも軌道に乗っているとは言いがたい。
私は、頑張らなくちゃいけない。
絶対に、頑張らなくちゃいけない。
「いくらですか」
自分にこんな冷徹な声が出せることを瑛美は知らなかった。
「その『お小遣い』って、いくらですか」
マスターの桂木京介です。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
概要
決してあきらめない心、くじけない気持ち、辛さを乗り越える気概がテーマのシナリオです。
といってもテーマに縛られることなく、タイトルから想定できる内容で自由にアクションをお寄せください。
時期がこの前後であればいつでも可能です。
もちろん、シナリオガイドのストーリーにはまったく絡まなくて大丈夫です。
NPCについて
本作だけは、申し訳ありませんがシナリオガイドに名前が登場しているNPCしか登場できません。
参照シナリオについて
参照シナリオがある場合はタイトルとページ数もお願いします(できれば2シナリオ以内でお願いします)。あと、私は記憶力にかなり問題があるので、自分が書いたシナリオでもタイトルとページ数を指定いただけないと内容を思い出せないのでご注意ください(汗)。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!