雪夜を待ちわびて｜リアクション

雪夜を待ちわびて

「あー、やっぱこの変身シーンがないとね！　日曜の朝から、アガるわぁ」
　目を覚ますと既に、姫木じゅんはこの調子だった。テンションマックス、さながら不埒な悪に立ち向かうヒーローのごとき気合を眼前のテレビへ向けて照射する。週一、休日の風物詩である。
　朝鳥さゆるはそれを横目にシーツを剥ぎ取り、顔を洗って歯を磨いて、身支度をすっかり整えると、コーヒーを淹れる。近くのスーパーに山積みされているお徳用のレギュラーコーヒーだが、ドリッパーに湯で渦を描くと、立ち上る香りはこれがなかなか悪くない。
　手には湯気立つカップを２つ。物言わぬままじゅんの隣へ腰を落とし、ひとつを手渡す。
「ん」
「ん。あら……この子、前のシリーズにも出ていなかった？」
「いやいやいや。全然違うでしょ！　同じ青髪でもこの子は青い大空の象徴であの子は大いなる海の、あ、コーヒーおいしい。あんがと」
「ん」
　付き合って鑑賞するようになったニチアサの女児向けアニメだが、さゆるには今もってその意味を十全に読み取れるとは言いがたい。時に素朴な疑問を口にすると、それはじゅんを始めとする熱心な視聴者にとって的外れで突拍子もない問いだったりする。
「この敵……街を壊すなら、もっと効率的な方法があるんじゃない？　妙に回りくどいというか」
「わ～かってないなぁさゆるは。いーい？　大事なのは様式美ってやつでね」
　身振り手振りを交えて熱心に語って聞かせてくれるじゅんだが、さゆるにはやっぱりよく分からない。ただそんなふうに熱中してのめりこむ恋人の真剣な顔は子どもっぽくて愛らしいし、真っすぐな瞳は凛と輝いて美しい。
「そろそろ、何か食べない？」
「ん～」
　日曜朝はアニメが連チャンだから、しばらくこの調子だろう。さゆるは苦笑いして腰を上げる。
　食事の用意はさゆるの役割だ。そうとあらたまって決めたわけではないが、暗黙にそうなっている。じゅんは包丁の握り方も知らないし、放っておいたら外食なりコンビニ惣菜なりで済ませてしまう。栄養バランスも何もあったものじゃないから、ここは恋人が手厚くコントロールしてやらねばなるまい。
　アニメが終わる頃合いを見計らって、テーブルへ朝食を用意した。今朝はアボカドとレタスのトースト、ほうれん草をまぜこんだスクランブルエッグ、パプリカのマリネ、オニオンスープにした。
「わ、いーにおい！　料理上手なヨメが来てくれて、わたしゃ幸せじゃ～」
「もう。調子いいわね」
「ふふっ、いただきまーす！」
　向かい合ってゆっくりと、味わいながら、会話を交えながらに。このひと時を、二人は大切にしている。

　じゅんは料理のみならず家事全般に適性がないから、洗濯もまたさゆるの役割だったりする。
「コスプレ衣装なんかの扱いは丁寧なのに」
「それはそれ、これはこれ。ってやつよね」
「偉そうに」
　く、く、と笑い合う。
　コインランドリーの洗濯機に持ち込んだ紙袋の中身をぶち込み、回し始めると洗い、すすぎ、脱水を経て完了まで１時間と出た。その間をまんじりともせずに待っているのもいささか、手持ちぶさたで味気ない。
「少し、歩こうか」
「オッケ」
　適当な言葉を交わしながら適当にぶらついていれば、ちょうど頃合いになるだろう。
　あえて伝えずとも、並んで歩めば指は絡まり身を寄せ合った。いつしかちょうどよい距離を心が学び、互いに良き場所へと収まったらしい。
　そうして歩いていたら、いつのまにやら寝子ヶ浜海岸に着いていた。
「寒っ」
「そろそろ肌寒くなってきたわね」
　灰色を伴う風が吹き抜けた。二人はそれが神魂はらむものとは知らなかったし、唐突に胸へ湧いた理由なき不安の隠しようにも戸惑ったことだろう。
　視線はさまよい結局、互いを見つめた。
「……じゅん」
「さゆる」
　唇を重ねる。厚く重く、ゆっくりと。
　島へ冬の到来を告げるハクセキレイのついばみのごとく、噛むようなキスだった。長く、長く、白浜にうち捨てられた彫像のように身じろぎしがたく、離れがたく、二人いつまでもそうしていた。

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