雪夜を待ちわびて｜リアクション

雪夜を待ちわびて

「ママー、おかえりー！！」
「うっ。た、ただいま楓……重くなったわね」
「ええー？　おもくないよ！」
　愛らしい小型犬のじゃれる程度だった娘の抱き着きが、今では小型ミサイルといった趣、衝撃だ。いつまで受け止められるだろうか。しかし梓智依子にとっては愛娘の成長を腕に実感できる嬉しいものさしでもある。

　放課後、ハローニャックでのアルバイトは休み。真っすぐ帰宅することができたのも久しぶりで、楓の喜びようといったらなかった。
「今日はママ、楓と遊べるわ。どこかいこっか？」
「ほんと？　やったー！」
　文字どおりに瞳が輝きを増した。夜空に星が瞬くようだ。
「どこいきたい？」
「えっとね、あのね？　こうえんでね、ブランコのってね、すなばでおやまをつくってね」
「うんうん」
　祖父母に行き先を告げると、にこやかに行ってらっしゃいの返事を得た。孫にもひ孫にもデレデレの二人である。
「楓、これ着て。１２月よ、寒いわよ」
「あ、ねこもん！」
「好きでしょ、ねこもん」
「うん、きるー！」
　去年買ってやったお気に入りのフリースジャケットを頭からかぶせ、家を出る。寒風が足元を拭き抜けて、楓はぴったりと智依子へくっついた。
　昨今の都会は再開発だの安全のためだの、理由をつけては緑を削ってゆくが、幸い旧市街にはいくつも昔ながらの公園が残っている。近所の公園は程よい広さで遊具も豊富、周辺住民の子どもらの例にもれず、楓もなにかとここへ来たがった。
　楓と同じくらいの子がボールを蹴っていた。向こうの砂場では冷え込む外気にも関わらず水を投入し、泥んこ遊びに夢中だ……ちなみに公共の砂場での水遊びは忌避される向きもあるが、ここではママさん仲間同士のルール作りが上手くいっており、遊び方から後始末の仕方まで周知されていて、むしろ推奨されている。子どもの泥んこ遊びは知育の観点からも与えるものが多いのだとか。
　というわけで楓にも尋ねてみるが、
「一緒に遊ぶ？」
「んん～」
　気が乗らないらしく、空いているブランコへ駆け寄った。
「ママ、ブランコ！」
「はいはい。今行くわ」
　ブランコに腰かけると、楓が膝に乗った。そこが特等席なのだ。
「ママ～」
　後ろを振り返り、漕いで？　の合図。
「いくわよ。落ちないでね？」
　ゆっくりと足を漕ぐ。ブランコは前後へ少しずつ、徐々に大きく、振り子のように揺れた。
　きゃっきゃと喜ぶ愛娘の無邪気に、智依子の胸へあたたかさが満ちてゆく。
「ママ、もっとこいで！　もっと～！」
「はいはい。それ～っ」
　あの太陽よりも、まぶしく熱く灯った。

　砂場でよその子たちに混じり手や服を汚す楓を、目を細め眺めていた時だった。
「……う」
　強い風が吹いた。冷たく重く、灰色に濁った風だった。思わず身をかき抱いた。凍えるようだ。心が寒かった。羽織ったコートでは到底抗えないほどに。
　何故こんなにも憂鬱に落ち込むのだろう。唐突に前触れなく。予兆などなかったはずだ。智依子は狼狽した。もちろん彼女に神魂のあれこれと悟る余裕はなかった。
　黒ずんだ鉛めいてじわじわと沈み込む。心が染まってゆく。暗く覆われてゆく。身じろぎさえできずかすかに肩を震わせるのみ。
　何故。これは何。どうして私は。落ちてゆく。
「ママ……？」
　瞬間、明るく視界が色づいてゆくようだった。
「ママ、さむいの？」
　落ち込んだ理由も、風の冷たさももはやどうでもいい。心配そうにのぞき込む、曇った顔を晴らすことが智依子の全てとなった。
「……うん。ママ、寒がりだから」
「もうかえろう？　おじいちゃんとおばあちゃんもまってるし、かえろう？」
　そうね、そうしようかと言うと楓は、首が取れるのではないかと思うほどにうなずいた。
　抱き締める。
「ママ？　まださむい？　あっためたげるね！」
　一生懸命に肩をこすってくれる娘に、智依子は暑いくらいだ。
　冬の夕焼けはそろそろ交代の時間。月夜の下で、今日は娘と何を歌おう。

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