GOOD BYE YESTERDAY｜リアクション

GOOD BYE YESTERDAY

　いくらか落ち着いてきた。
　ラッセルは膝を立てて座り直すとスケッチブックを取り出した。
　特に考えず腰をすえた場所にすぎないのだが、なかなかの光景だった。川だけではなくねこでんの通る高架橋も街も眺望に入る。川を挟む河川敷の緑も鮮やかだ。
　そういえば一年ほど前、あの高架橋の下で中学生が銃を乱射したって事件があったんだっけか。
　豪雪の日だったはずだ。この河川敷も一面の雪景色だったろう。
　雪のことを考えたせいか、いよいよ冬が近づいてきたことを思わざるをえない。
　秋もいいけど。
　スケッチブックに6Bの鉛筆を走らせながら考える。
　春がやっぱいいなぁ。花の色どりと風があったかくて。遅くまでいても苦にならねーし。
　今日はたまたまこんな陽気だけど、日が沈んだらやっぱ寒くなんだろうな。あと一ヶ月しないうちカレンダーの表示は『冬』だ。
　辛い季節がくるなー。
　ざっと描いているだけだが、それなりの風景画に仕上がってきた。
　実際に見えているものだけを描くのがスケッチではない。自由に好きなものを加えたっていいはずだ。その場に人を描き足す。
　風景を背にして立つのは晴月だ。白いワンピースはもう破れていないし、ラッセルがプレゼントしたカーディガンも着ている。
　もうひとり、友達も描き加えた。
　晴月よりは遠景、だから顔もはっきりしない。でも、ラッセルは誰なのか知っている。
　こういうとき、海道ならどうすっかなー。
　鉛筆を握る手をとめ、ふと思った。
　海道千里（かいどう・せんり）。ラッセルの中学時代までの友人だ。
『……絵うまいな、一緒に描いていいか』
　って声をかけてくるかな、海道だったら。それでいちいち返事なんて待たねーで、するっと隣に座ってる。距離のつかみかたが絶妙なんだよな。
　千里は太陽のような人間だ。太陽系の中心にあって、つねに惑星を明るく照らす。引力という意味でも太陽のたとえがあてはまる。
　――そういえば、あいつも距離つかむのうまかった。いや来すぎて引いてたか。
　はは、と苦い笑いが口をついた。
　あいつ、とあえて名を避けて思い描いたのはラッセルにとって大切な人のことだ。でも『大切』の前には『元』がつく。あるいは大切『だった』と言い直すべきか。
　その人のことを思うたびにまだ、胸のどこかには痛みが走る。でもいつか記憶の一ページとして、整理できる日が来るのだろうか。痛みがなくなることがあるのだろうか。ハロウィンで負ったこめかみの傷のように。
　そうじゃなくて、いまは海道のことを考えよう。
　軽く首をふってラッセルは、いまはもう遠い存在である彼を想う。
　海道はもっと自然に良し悪しまでわかるすっげーやつだった。
　もっとも俺は友達の一人で、人間関係のいざこざの空気に耐えかねて逃げた臆病者だけどさ。
　自分を哀れだなんて思いたくないし、思ったことだってないはずだ。でもラッセルは気がついている。いま自分の顔を鏡で見たら、自己憐憫の表情をしているだろうと。
　自分を表にだすことは海道に学んだ。
　海道のおかげで、学校で急にしゃべれなくなる心のブロックの克服もできた。
　でも俺、あの頃からずっと、拗（こじ）れたものを戻すのにメッポウ弱ぇままだ。
「ダメだなぁ。我ながら」
　口に出してぼやいてしまう。
　でもわかっているつもりだ。
　大事なんだよ、ずっと。これからも。
　ラッセルは、自分の想う『大事』の対象を絞らなかった。
　大事だから、望むようにしていてほしい。
　大事だから、壊さないように壊れないように離れたい。
　大事だから、今の大事なモノに時間を使ってほしい。
　スケッチブックを眺める。なかなかよく描けていると思った。
　風景画のなかの登場人物は、全員笑顔だ。

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