GOOD BYE YESTERDAY｜リアクション

GOOD BYE YESTERDAY

　遠出といっても寝間着がわりの小豆色のジャージにベンチコートをひっかけるだけ、これが杏那の支度のほぼすべてだ。さすがに寒いのでサンダルのかわりにスニーカーを履いてはいたが、それだって履き古してボロボロのものだ。スーパーマーケットでも買えそうなノーブランド品である。夜の店に出ているときはそれなりにメイクもして借り物だがドレスに袖を通す杏那であるが、彼女の普段におしゃれという言葉はないようである。
「洗面器はさすがに持ってかなくていいんすよねえ？」
「あんなねーちゃん銭湯じゃないよ」
「ハワイニャンランドれすおー！」
「でしたっけ？　あーしスパリゾートってのイマイチぴんと来ないんすよねー」
　などとずらずらと、連れだって三人は駅まで歩く。杏那も二十歳そこそこなので家族連れというよりは、年長の姉が弟と妹を引率しているようにも見えるだろう。
「ことこちゃんのカバン、なに入ってるの？」
「うきわとゴーグウれすー」
「うきわいいなー。ぼく、あんまりおよぐのとくいじゃなんだ。っていうかおよげない。コトコちゃんは？」
「とくいれす！　とーはみずにはいっれれば、げんきれす！」
　最初のクライマックスは早くも、ハワイニャンランドに到着前におとずれた。
「うあー、でん車、かこいー、ねこでん！　ねこでん！」
　駅舎が見えるなりコトコは歓声を上げたのである。切符を買ってホームに入るだけで大興奮だ。
「かいさつ、カシャーって、たのしーれすね、とたにーに、あんなねーね！」
「ことこちゃん、ねこでん乗ったことないの？」
「ないれす！」
　桐太は目を丸くしている。
「じゃあことこちゃんってどうやって寝子島に？　船とか飛行機とか？」
　あやうく星幽塔の話になりかけたものの、その前にホームに電車が滑り込んできた。
「あいあーい、よい子は黄色い線の内側で電車を待つっすよー」
　電車内はお静かにーと杏那に言われるまでもなかった。コトコと桐太は流れ去る海の眺望に魅了され、ずっと窓にはりついていたからだ。
　そこから電車を乗りついで、今度は寝子島にはない規模の大きな駅に着く。
「バスターミナルに着くまで話しかけちゃだめっす！　あーし方向音痴なんで。それもヤベーレベルの！」
　右手のスマホをガン見して、左手で杏那はコトコの手を握りしめている。言葉に嘘はないらしく、杏那の手のひらには汗がにじんでいた。
「ことちゃん、とー君の手、絶対離しちゃだめっす！　迷子とかなったらたちまち全滅っすよ」
「れ、れんめつ……こわいれす……」
　これにはコトコも唾をのみこむ。
　コトコの左手は桐太の手とつながれていた。桐太にも杏那の緊張が伝播して、命綱のごとくコトコの手をしっかりと握りかえしている。一蓮托生、大都会の真ん中で嵐にもまれる小舟の心境であった。
　バスターミナルに着いてやっと安心かと思いきや、さにあらず。
「うあー、バスいぱーいあるれす」
　コトコは目を見張った。色とりどりのバスがずらりと並んでいるのである。ひっきりなしにバスが発ち、入れ替わるように新しいバスが滑り込んでくる。電光掲示板は数秒ごとにきりかわり、案内板だけでも大迷路のように立ち並んでいる。
「いっぱいありすぎっすよぉぉ」
　杏那が頭をかかえると同時に、
「どこのるれすかね？　おいしそーな、パンのにおいするれす……」
　手の離れた風船のごとく、ふらふらとコトコは歩き出していた。焼きたてパンのいい匂いがしてきたのである。
「ことこちゃんダメだって！　ソーナンするよー！」
　桐太は必死でことこをとどめようとする。

　――パンを買って食べながら小休憩をとったら、そのベンチの目の前がハワイニャンランド行き無料送迎バス乗り場だった。