しあわせのおすそわけ｜リアクション

しあわせのおすそわけ

　幸せだとは思う。それが独りよがりではない、とも思う。
　少し前までは気持ちが追いつかなくて、今を信じることに不安があった朝鳥さゆるも、少しずつ自覚が芽生えてきた。
　するとどうなるか。テレビの前で抜け殻になっている姫木じゅんでさえ、愛しいなと思うのだ。
　こうしてじゅんが呆けているのは、昨夜が土曜の夜で仕事が忙しかったためではなく、いわゆる『ニチアサ』が怒濤の展開でショックを受けている……らしい。
（あたしには、よくわからなかったけど）
　途中までは一緒に見ていたけれど、遅めの朝食を準備するため席を外し、気付いたときにはこうなっていた。
　一緒に暮らすようになって初めて知ったときには、テレビ番組に一喜一憂できるじゅんにまだ興味を持てなくて、いいも悪いもなかったはずで。いつからこんな思考になったのかわからない。
　この部屋に来た時は――まだ、何も知らなかった。じゅんのことも、己自身のことも。ただの行きずりの関係に詮索など不要だったし、重なるのは偶然と身体だけで心など必要なかった。
　もしそこに、それ以上の興味を持ってしまったら、都合の良い関係ではなくなるからだ。
（１年で、こんなにも変わるのね）
　去年の７月。狩られるのを待っていたさゆるの前に現れたのは、泥酔したじゅんだった。説教までされ、保護をすると言われ、興ざめしたものだけど。今のように、少しでも穏やかな時間があることを信じられるなら、あのときのじゅんはとても格好良くて安心する、心強い存在に見えただろうか。
　そう思ってしまったなら、じゅんとは違う始まりを迎えていたのか、それとも――
「朝ご飯、できたわよ」
　その先を考えないように、さゆるはいつまでも寝転がるじゅんへと声をかけた。
　メニューはトーストとヨーグルト、ミニオムレツに、それからカット野菜で作ったコンソメスープ。今まで料理を作ることが想定されていなかったキッチンでも、辛うじて作れる範囲だ。
　いつもコンビニや惣菜に頼り切りで、調理器具どころか皿すらほとんどなかったじゅんの家に、少しずつ調味料が増えカトラリーが増え、飲み物と冷凍食品しかなかった冷蔵庫にも生鮮食品が置かれるようになった。
　心境と同じように、この部屋も２人にとって住み心地がいいように変わってきている。
「食べるから聞いてよ、ここにきてあの時のフラグをさぁ……」
　空腹には抗えないのか、じゅんはのそのそと起き上がって食卓につく。さゆるはちらりと窓の外を見て、長話に捕まる前に洗濯機を回しておいて良かったなと、じゅんの話に耳を傾けた。
　同じ物が好きなわけじゃない。でも、この時間は苦痛じゃない。
　じゅんは家事全般がダメで手伝ってはくれない。でも、こうして一緒に食事をしてくれる。
　同棲をするようになってから見えてきたのは、いいところばかりではないけれど……悪いところが目に付くのも、きっとお互い様だろう。
　それでも、惹かれ合った。欠点も含めて愛している。けれど。
（それが、もし……）

　――残酷な幻だとしたら？

「……さゆる？」
　ただ情に絆されてとか、傷のなめ合いの延長だと終わりを告げられたなら、また戻るのだろうか。
「なんでも、ない……」
　傷を付けることで生きていることを実感して、悪夢を忘れようとした。あの荒れ狂った日常を過ごしてきた年月を思えば、戻ることなど……なんでもないとは言い切れず、上手く笑えなかった。
　そんな様子のおかしいさゆるを、熱でも我慢しているのかとじゅんが隣に様子を見に来る。心配されている、愛されていると思いたくて、さゆるは顔を近づけた。
「あたしたち、今幸せよね？」
　言葉より優しい体温を知りたくて。２人は幸せを伝え合うように、長い長いキスをした。