しあわせのおすそわけ｜リアクション

しあわせのおすそわけ

　感謝を伝える日。そう聞いた倉前七瀬が思い浮かべるのは、１人だけ。
　今までお世話になった人は数多くいるはずなのに、想いを伝える日とも言われるからだろうか。
　真っ先にウォルター・Bのことを思い浮かべてからは、「他には」と探す前に「何をしてあげられるか」と考え始めてしまい、七瀬の中では『ウォルターさんに何かをする』ということだけは早々に決まった。
　とはいえ、それならと妙案がすぐに思い浮かぶ物でも無い。何かをあげるにも気を使わせてしまうし、どこかに行くにもブックカフェは行ったし。
（ううん……）
　情報ならSNS……は、ダメだ。文字を追ってしまう。じゃあテレビ……も、ピンポイントで近隣の情報なんてない。ならば残るは――鞄の中だ。
　通学に使っている鞄には、学業に必要な物はもちろんのこと、道中で配られているティッシュやらチラシやらも詰め込まれていた。断るよりも受け取ってしまったほうが早いこともあるし、ふと目の前に文字が飛び込んできて反射的に受け取ってしまうこともある。そんなチラシであれば、まだ寝子島内の情報のはずだ。
（これは金融会社、こっちは時給が凄い……のは一例って書いてますね。それから……）
　自分とは無縁な物ばかりで、どうしようかと思っていたところ、「オープン記念」という文字が目に入る。しかもカフェだ、至って普通のなんの変哲もない店というのが、こんなにありがたく感じるなんて。
　その上、『１品無料』のクーポンまでついている。横には小さな文字で『この券で最大２名様まで可』の文字が、なんとも丁度良い。
（有効期限は……）
　明日。
　で、間違いないことを確認し、ホッとひと息――ついている暇はない。いつか誘えたらいいなとか、都合が良い日はなんてのんびり構えていては、期限が過ぎてしまう。
　七瀬は急いでお誘いのメッセージを送ると、返事を待たずに身支度を調えアパートを飛び出した。

　結果的に、それは功を奏し……七瀬は息を整えている。
　ウォルターからの返事は「ちょうど用事が終わった所だから、すぐ合流できるなら」といった物だった。
　とは言っても、そんな辺鄙な場所での待ち合わせでもない。少々の時間つぶしくらいはできるので、何時間も待たされるわけでなければ、ウォルターは待つつもりだった。
　けれど、そんな冗談が七瀬には通じなかったようで、走って来たらしい。
「そんなに急いで来なくたって良かったんだよぉ？」
「いえ！　ウォルターさんをお待たせするにはいきませんから！」
　そんなやりとりを経て辿り着いたカフェは、以前一緒に訪れた所のように本がたくさんあるわけでもない。小動物と触れ合えることもなく、内装のどこもがピカピカして明るい以外は特筆することのない平凡なカフェ。
　それでもウォルターと一緒に来店出来たというだけで、七瀬には特別なカフェだ。
「ウォルターさん、今日は僕に奢らせてください」
　ピッとクーポン券を格好良く取りだした七瀬は、にこやかに「お好きな物をどうぞ」と勧めた。

　七瀬が頼んだマカロンと紅茶のセットと、ウォルターの頼んだ本日のオススメによって、テーブルの上は一口サイズの菓子が数種類並んだ。
「ウォルターさん、目を閉じて口を開けてください」
「えぇ……？」
　何をされるのかとオーバーに怯えてみせながら、ウォルターは「一口だけだよぉ」と目を閉じた。
　七瀬が口に放り込んだのは、レモン味のマカロンである。
　特に悪戯の気配もないそれを、わざわざこうして食べる必要はあっただろうかと疑問符を浮かべるウォルターに、七瀬は微笑んだ。
「お菓子言葉ってご存知ですか？」
「知らないなぁ。そんな物にまで意味があるんだ？」
　それならそれで、これは七瀬だけが知っていればいい。
　ふふりと笑って「あるかもしれませんねぇ」なんて話を合わせる。

　――あなたは特別な人であることに、変わりはないから。

このページにイラストを設定する