九月も半ばをすぎており、ようやく炎熱の季節も玄関から這い出て行った。それでも夏の長い尾は、なお街ゆく人々に半袖を着用させるほどの気配をたもってはいる。
　寝子島シーサイドアウトレット、ファッションに敏感なキッズであれば秋先取りのカーディガンでも羽織っておればよかろうものだが、実際にそういった人はまれだ。真夏よりはおちついた色彩中心ながら、行き交う人々は大抵涼しげな服装である。
　ポロシャツで来ればよかったと星山 真遠は思っている。マスターロールにした袖から肘が出ていようがワイシャツはワイシャツ、通気性満点とは言いがたい。シャツの裾はボトムスに入れていた。べっ甲飾りのループタイで崩し気味の演出を入れてはいるが、あわせているのが糊の利いたベージュのスラックスということもあり、オフを満喫している独身男性というよりは、仕事途中で立ち寄っただけの『お堅い職業の人』というイメージだ。なんでまたこんな武装で来てしまったのか。
　……でもま、釣り合いはとれてるかもな。
　横目で真遠は同行者を見る。文梨 みちるだ。パンツスーツは上下とも黒、黒縁眼鏡に黒革靴、おまけにサングラスまでかけているではないか。さすがに袖はまくっているが、暑さをものともせず黒いマスクをしているのには恐れ入った。異星人対策秘密組織のメンバーかと言いたくなるところだが、おかげで忍者みたいに気配を消せているのもまた事実だった。
『言いたいことはわかってるわ』
　この装備で待ち合わせ場所に姿を見せたとき、みちるは言ったのである。
『最近顔が売れてきててね……まさか芸能人みたくなるとは想定してなかったけど』
　みちるは深い群青色のため息をついた。
　元トップキャバ嬢にして現トップクラス弁護士という異色の経歴をもつみちるは、いまやすっかりメディアの寵児だ。テレビのバラエティー番組に引っ張りだこ、事件があれば新聞雑誌にコメントを求められ、なんとなく書いた著作はベストセラーリスト入り、SNSでコメントするたび『イイネ！』と拡散の嵐が巻き起こるセレブへと進化したのである。
　もちろん望ましいことばかりではない。光が強ければそれだけ影も濃くなる。最近ではパパラッチだのストーカーだの殺害予告だの、おおよそ害虫に近い連中もみちるを追うようになったのだから。最初こそ注目を浴びる立場を楽しんでいたみちるも、卑猥な怪文書が事務所に投函されるにいたりさすがに気力が萎えて、最近ではもっぱら、プラベートの外出と変装は同意義の言葉とみなすようになってしまった。
　それでもみちるは、寝子島まで出てくるのは好きだという。
　このところみちるは、理由をつけては寝子島に来るようになった。
　どうやらこの島が気に入ったかららしい。
「気のせいかもしれないけど、寝子島（ここ）だと変に注目を浴びることが少ないから」
「そうなのか？」
「そうよ、店員にいきなり指さされたり写真撮らせてとか言われないし」
　目立たないからかもね、とみちるは笑う。
「この島には、個性的な人がたくさんいるから」
　みちるの視線の先では寝子島観光大使にして元祖ゆるキャラ、またの名を寝子島大統領こと寝子 サンマが風切って歩いており、「そろそろサンマの季節だぜエブリバディ！」と道行く人にハツラツと声をかけている。――が、人だかりができるわけでもなくせいぜい、声をかけられた人がそうだねと返事する程度で、ごく当たり前の寝子島らしい光景と化しているのだった。
「……言われてみりゃ、その通りだ」
　ハリセンで大きな音を出し損ねたような、微妙な笑顔を真遠はうかべた。
　本日午前十一時のシーサイドアウトレットにいるのは、みちるのリクエストによるものだ。彼女が愛用しているブランドが出店しているからだという。
「ここのアウトレットでしか出していないアイテムもあるわけよ」
「そんなのスタッフにでも買いに行かせりゃいいじゃないか」
「わかってないなぁ～」
　みちるは腰の左右に手を当てた。ペットボトル一本分くらいのため息をつく。
「あ、そうか」
　二秒ほど考えて真遠は結論を出したのである。
「自分の目で選ばないと意味がないってことだな」
「……ま、そんなところね」
　それはいいとしてなぜ俺まで付き合わされることになったんだろうか、と真遠としては思わないでもない。
　今日は昼前まで寝て、起きたらとっておきのヘーゼルナッツパンとスクランブルエッグの朝食を食べて録画の新作ロボットアニメを観て、変名でやってるSNSに観たばかりのアニメの感想や考察をたっぷり小一時間はかけて書いて、それからようやく原稿仕事――に入る前に積ん読状態の火星移住SFの最初のページをめくりかけてためらう（読み始めたら絶対面白いと思うのだがなにせ八百ページ近くあるのだ！）という休日にやりがちの儀式に入る予定だったのである。そんな貴重（？）な一日は不意になりそうだ。
　まあ、この前の債務処理の件で手をわずらわせたから、そのお礼と思えば悪くないとは思うが。
　そうこうあってあくび混じりながら、真遠はみちるの買い物に付き合った。雑誌の表紙モデルが着ているような秋物ジャケットやブラウスを、よくできた食品サンプルのような気持ちで眺める。
　時間をかけ比較検討して試着して、ようやくみちるはジャケットを選びとった。
「それ、アウトレット限定アイテムじゃないのでは？」
「いいのよ気に入ったから」
　同人誌即売会では吟味するもなにもなく、気に入っているサークルの新作は一通り全部買う真遠としては、みちるのように悩んで選んで一点に絞るという行動はいまひとつ理解できないのである。とりわけ限定品とあれば悩む時間すら惜しいほどではないか。
　とにもかくにも本日のミッションは終了というわけだ。真遠は外連味たっぷりの英語で『Mission Complete！』とでも言いたくなった。
　さて次はどうしよう。
　まだ昼メシには時間もあるしな――とぼんやり向けた眼差しが女性三人組のところで止まった。
　あれは九鬼姫に恋々、それとまみ子……『プロムナード』の面々か。
　ロングTシャツにジーンズというこざっぱりした服装の九鬼姫、七分袖のきれいめワンピースにエキゾチックなイヤリングの恋々、まみ子はニーソックスに厚底ブーツという相変わらずのロリータファッションだ。めいめい普段着だろうし統一感もないが、こうして揃うとなかなかに華やかな印象である。買い物に来たのだろうか。
　声をかけるべきか迷ったが、それ以前に恋々のほうが気がついた。
「おー、あそこに若先生がいるね」
「どこじゃ？　……あれかのう？」
「ちょっと姫、指さしてんじゃないよ」
　真遠は片手をあげる。
「奇遇だな。買い物か？」
「まあ、ちょっとね」
　まみ子がいささか遠慮がちの口調なのは、プライベートで他の嬢と付き合うことはないという自分のキャラが破れたのを見られたという自意識ゆえか。
　――いや、ちがうな。
　まみ子の視線が自分ではなく、みちるに向いていることに真遠は気がついた。
　勘ちがいされていなければいいのだが、と危惧するもすでに遅し。
「なんじゃあ、みちるもおるではないか。そんな黒い格好しとるから最初気がつかなんだ。あれか？　デートか？」
　あっさり九鬼姫が言ってしまう。
「九鬼ちゃんストレートすぎるよ！」ぎょっとして恋々が声を上げた。「あー、ごめんね、うちの子、礼儀がなってなくて……」
　あはははと恋々が苦笑いするが、まあ要するにまみ子も同じ考えだということは明白なようだ。
　ところがみちるも慣れたものだ。
「ええその通り♪」
　言うなり真遠の腕に、するりと自分の両腕を絡ませたのである。同時に真遠を見あげわざとらしく片足を跳ねあげたりもする。
「今日もあたしの買い物が口実、彼ったら毎回口実つけて呼び出さないと逢ってくれないからぁ～」
　さすが元トップキャバ嬢、作り声すら完璧だ。　
「ま、待てこんなところ目撃されたら……！」
　レンジで生卵をチンしたみたいに真遠があわてたのは、自分の心配ではなく著名人みちるがヤバいことになると考えたからである。
　――そういうことにしておこう。