もともとペースの速かった
若杉 勇人は、乾杯から一時間も経つころにはもうベロベロだった。ほろ酔いのゴールテープなんてとっくに切ってはいるものの、明日は二日酔いと断じるまではまだ距離がある。酒飲みにとって一番楽しい状態だろうか。ここで踏みとどまるか、もっともっとと求めて取り返しのつかない渾沌に迷いこむかの瀬戸際だ。
「これまでで一番『ヤバい』と思った瞬間はですね~」
赤い顔で唐揚げを転がしながら勇人は語る。
「服屋でバイトしてたとき、閉店後に服をこう、畳んでいたときにですね、僕と同じテーブルで作業してた女子ふたりが、どっちも付き合ってたことのある子だったときですね~。あのときは本当に気まずかったですよ~」
先生もそういう経験おありでしょう? と勇人は
五十嵐 尚輝にグラスを向けた。
「……い、いえ、ないです」
「そんなー、男だったらぶっちゃけ話のひとつくらいあるでしょう~? ここでカミングアウトしちゃいましょうよ~」
呑んで呑んでと勇人が迫ってくるので、仕方なく尚輝は冷やの日本酒をちびちびと口にした。甘い。けれどもどんよりとした後味だ。糊(ノリ)を溶いたものでも口に含んだように思う。おいしいとは思えなかった。
寝子高男子職員の飲み会、そんな酔狂な催しを企画したのは誰だろう。先日職員室で不穏な回覧板がカレンダーとともに回ってきたとき尚輝は本当に対処に困った。『カレンダーの参加希望日に○をつけてください』ならまだしも、『参加
できない日だけ×をつけてくだい』という半ば強制参加みたいな内容だったから。自分には家庭も放課後の予定もないから仕方なく大半を無印で出し、当たり前のように参加メンバーに入れられてしまった。平然とすべてに『×』をつけて提出した
桐島 義弘のような強さは尚輝にはない。
メンバー総勢約十人で入ったのは雑居ビルの地下にある居酒屋だった。店長の趣味なのか囲炉裏があったり魚拓が飾られていたりして、田舎の古民家風を演出しているのだろうけども、全体的に薄暗く、物陰から幽霊でもでてきそうな普請で尚輝は落ち着かない。全国の日本酒が百種類くらい用意してあるという話だが、とりたてて酒好きでもないというか、むしろ苦手な尚輝にとっては興味のない話だ。
とくに考えずに座ったせいか、尚輝は勇人を正面にむかえることになっていた。若くてハツラツとして人当たりがよくてーーと、尚輝からすればまぶしくて目を開けていられないような相手だ。勇人はよく呑みよく笑うので、はじめこそ尚輝は自分から話す必要がなくてほっとしていたのだが、ある時点から彼はやたらとからんでくるようになった。それも、尚輝の苦手な種類の話を。
「高校生のとき彼女くらいいたじゃないですか~」
勇人の発言は質問ではなく同意を求めるものだ。『カノジョ』という発音はやけに平板だった。
「……いえ……全然。さっぱりですよ」
「まさかですよ五十嵐先生~。案外モテたんでしょ?」
「もてないです……というか、大学に入るまで女子と話した記憶がありません」
「わかった! 大学デビューというやつですね! 三回生あたりから同棲してたりして」
関西では主として、大学に入ると『○年生』ではなく『○回生』という表現を使う。
「いえ……まったく。……そういうのとは縁遠い人生ですから」
はははと苦笑いながらも、なんとか尚輝は笑い飛ばそうとする。けれど普段のさわやかさとは打って変わって今夜の勇人は妙にねちっこく、まだこの話題から離れる気はないらしい。尚輝は嘆息した。
桐島先生なら少しは話もあうんですけど――。
参加意志すら見せなかった義弘が恨めしい。やっぱり、何か急用ができたことにすればよかった。
弱りきって尚輝は視線を滑らせた。
雨宮 草太郎校長が近くにいたら、適当に話をあわせて笑っていれば時間がすぎるので助かるが、あいにくと校長は遠くの席で、尚輝にとっては謎多き人物
野々 ととおとなにやら話しこんでいる様子だ。同じくこの手の話が苦手な
浅井 幸太もいるけれど、やはり酔っているのか熱い野球論を展開しており、野球のルールはおろかバットの握り方すら知らない尚輝には接触不能状態なのだった。
「でも五十嵐先生嘘でしょ、このあいだもすごい美人と歩いていたじゃないですか!」
憤慨するように勇人は言うのである。
「え……誰の話ですか。うちの生徒じゃなくて……?」
「たしかにお姫様っぽくはありましたけどね、高校生じゃないです。背がすらっと高くって、桃色の髪で、しかも知的な感じの……」
勇人は本当に憤慨しているのかもしれない。語調が厳しい。まるで尚輝が、ある種の裏切り行為を働いているとでもいうかのように。
彼が言っているのは
今道 芽衣子のことだとすぐにわかった。
「ああ、でも……その人は、僕の大学院時代の先輩で……」
芽衣子とはただの先輩後輩の関係でしかなく、現在はお互い寝子島に住んでいるので偶然会うことがあるだけ、いつの話かわからないけどそのときだって待ち合わせしたわけじゃないはずだし、若杉先生が思っているような関係じゃありませんよ――というようなことを尚輝は説明したかったのだが、めずらしくアルコールを摂取しているせいもあってか、常日頃以上に舌足らずのしどろもどろになってしまう。それがかえって疑わしい印象を与えたようで、ますます勇人は身を乗り出すのである。
「それで、その先輩とはどこまで行ってるんですか」
「どこまでって……?」
「……五十嵐先生、大人の話ですよ」
「大人の話……とか言われても僕わかりません……」
尚輝はもう泣きたい気持ちだ。彼が何を言っているのか本当に意味不明だった。
先日までトランプの大富豪のルールだって知らなかった人間なんです! とよほど言おうかと思ったが、きっと通じないだろう。尚輝はただ、ひたすらに困惑するしかない。
「だったらその人僕に……」
と勇人が言いかけたとき、思わぬ助け船が入った。
「若杉先生、先生がご注文されたシシャモ、あっちのテーブルに出されちゃいましたよ~」
ウォルター・Bである。アルコールの介在などまるで感じさせない、すっきりと美しい笑顔を勇人に向けている。
「え……僕、シシャモなんか頼んだっけなあ」
酔漢特有の半熟卵みたいな目で勇人が尋ねるも、
「なに言ってるんですか好物なんでしょう? ほらほら、ほっとくと全部校長先生に食べられちゃいますよ~」
ウォルターはほがらかに勇人の腕をとると、バレエダンサーを思わせるなめらかな動きで彼を校長のテーブル、シシャモのもとへとエスコートした。
颯爽とウォルターは戻ると、勇人のかわりに尚輝の前に座る。
「さっきの僕の話にはふたつ嘘があります」
「えっ?」
きょとんとする尚輝に笑いかけて、
「ひとつ、注文をしたのは僕です」
そしてもうひとつ、と言った。
「あれは『カラフトシシャモ』が正確な名称で、『シシャモ』とは別のものです。まあ、ほとんどの人は混同してますしどっちもおいしいんですけどねぇ」
いいんでしょうか……と聞こうとした尚輝だが、テーブルを移った勇人がととお&校長先生と楽しそうにシシャモをつついているのを見て胸をなで下ろした。窮地は脱したらしい。
ウォルターは変なことを聞いてこない。ただ、悠然とジンのグラスを傾けるだけだ。尚輝はふうと一息ついた。しばらくして、
「五十嵐先生、先日の大富豪は楽しかったですね」
ウォルターが言った。
「ええ、本当に」
たしかに楽しかった。大富豪が、いや、みんなでトランプゲームをすることが、こんなに楽しいことだなんて知らなかった気がする。
「よければまた今度、遊びませんか?」
「トランプを?」
「それもいいですが、お月見なんてどうでしょう?」
「お月見……? ぼ、僕と……ですか?」
「ええ、よければ生徒なんかも招いて、一緒に」
突拍子もないことを言うウォルターに、一瞬尚輝は怯えた猫みたいに身をすくませたが、この人は天才肌なのだと思い出して落ち着いた。天才が唐突に突飛な催しをひらめいたとして、何を驚くことがあろうか。それに大富豪で遊んで以来、彼に対する苦手意識というか、引け目のようなものが薄れていることにも尚輝は気がついていた。
「もうじきほら、中秋の名月ですから」
ウォルターは目を細め、白い指先で前髪をつまんだ。
もしかしたらこれが、彼なりの照れ隠しの仕草なのかもしれなかった。
◇ ◇ ◇
元地方議員の元義理の娘
姫木 じゅんが、夜の蝶
まみ子へと姿を変える場所、それがクラブ『プロムナード』のバックヤードだ。今日は同伴出勤、いわゆる同伴はないため、直で出勤してメイクを整えている。まだ開店時間前、それもかなり早い。余裕をもって出てきたのは単なる気まぐれでしかない。
じゅんは視線に気がついた。鏡のむこうから、中学生で成長の止まった『まみちゃん』が自分を見ていた。今日も彼女はゴスロリ調で、頭の左右で三つ編みをツインテールにしている。我ながらあざとい演出だとは思うが、これを喜ぶ下卑た中年男性には事欠かないので、業務上の必要悪だと割り切っていた。
姫木――田舎の姫(プリンセス)が名を捨てて、年齢不詳の絶対少女に変身ってわけ。
そう、これがあたしの仕事。
ふんと鼻で笑ってごく薄くルージュを引いた。
最近は同居人のいるおかげで、『姫木じゅん』でいられる時間も増えた。以前ほど『まみ子』でいることが苦痛でなくなっている。
「おはよう。邪魔するぞ」
すとんと隣に座る姿があった。同じく鏡を見つめながら彼女は言った。
「夕方でも夜でも『おはよう』というこの業界の文化がようわからんかった……が、慣れたな」
自称戦国時代の姫君、これを裏付けるようにいわゆる姫カットで、常にではないが和装を好む。今日も着付けしてきたようで振袖姿、かんざしは派手目だ。まみ子ほどではなくともやはり未成年に見えた。
「あんた仕事戻って大丈夫なの? まだ休んだほうが」
驚いてまみ子は
九鬼姫を見る。彼女が自宅――同僚の
恋々(れんれん)らとシェアしている部屋で、突然倒れ救急搬送されてからまだ日が浅い。
「あれは頭のケガで運ばれただけじゃ。腫瘍のせいではない」
少し落ち着いてきとるからの、と言って九鬼姫はからからと笑った。この店に常在するもうひとりの『姫』、すなわち九鬼姫は脳に腫瘍を抱えており、余命いくばくもないと診断も受けている。にもかかわらず彼女は、元気なうちは出勤したいと言い張って今夜も店に出たのだった。
「わらわがわらわらしくいられる場所、それがここじゃからな」
「あたしと逆ね、あたしは……ここじゃ作り物だから」
店に出たとたん一八〇度キャラの転換する自分と、活き活きと『九鬼姫』をやる彼女、たしかに正反対だと思う。
「だったら止めないけど……ちゃんと病院は行きなさいよ」
「わかっとる。でも」
「でも、何?」
「礼を言う。気づかってくれて」
「……き、気づかってなんてないから!」
また鼻血とか出されたら迷惑なだけだから! とまみ子は目を逸らし、このとき九鬼姫が、手元の櫛を取るのに苦心している様子に気づいた。
「どうしたの? 目、やっぱり調子悪いの?」
「視力がな……。というかまみ子もずいぶん近眼だったはずじゃが……」
「レーシックよ。手術してからはばっちり」
眼鏡買ったほうがいいんじゃない? と――やはり気づかっているなと癪に思いつつ呼びかけると、なぜだか九鬼姫は顔を明るくするのである。
「ということは眼鏡か!? わらわもついにメガネっ娘か!?」
「何よそれ」
◇ ◇ ◇
自称トップ屋、上品に名乗るなら社会派ジャーナリスト
根東 吉成(こんどう・よしみち)は、人々の欲望を満たすという崇高な使命に燃え、暗い夜の街に目を光らせる。
彼の知的好奇心を満たすのは、芸能人や政治家のゴシップ、公務員や大学教授、あるいは大企業社員のスキャンダル、それもセックスがらみや違法薬物がらみなど、お下劣であればあるほどいい。暗視カメラもICレコーダーも偽の身分証も装備して、ベージュのジャケットにデニムの野球帽を鎧兜のごとく身にまとう。当然目立つが職質なんて無視だ。警官がからんでくれば逆に、サツネタにしてやるチャンスをうかがうくらいだ。なんといっても警察の不祥事は、根東の大好物なのだから!
三日月とかキュウリとかあだ名されがちなしゃくれた長いアゴをつきだし、今日も根東は街を練り歩く。
ちっ。
けれども彼は上機嫌ではなかった。
寝子島警察署の香ばしいネタ……出てこねぇなぁ……。
以前根東は、寝子島署巡査部長
水槻 清恋に
恥をかかされたことがある。元はと言えば自分の舐めきった態度が招いた惨禍ではあったが、反省とか恥じ入るとかいった後ろ向きの精神構造をこの男は持たない。根東は前向きにリベンジ――つまり寝子島署の信頼を失墜させるようなネタを嗅ぎ回っていたのだ。逆恨み? そんな言葉は彼の辞書には載っていない。
あの女……水槻とか言ったな。覚えてろよ……。
署員による違法薬物の横領あたりが望ましいが、なければ不倫とか、もっとずっと軽犯罪でもよかった。少しでも傷があればいいのだ。そうすれば正義のマスコミの鉄槌をもって、根東は事実を針小棒大に吹聴し、ネットの世界に大炎上を発生させ、さらには週刊誌の取材だワイドショーの報道だと雪隠詰にして、署長のクビのひとつくらい飛ぶようなダメージを与えることだろう。
畜生、と、見上げた夜空をかすめたものに、根東は我が目を疑った。
当の清恋はそのころ、警察署の喫煙室の窓から夜空を眺めていた。
仕事終わらないなぁ……。
書くべき調書が山積みだ。格好いい刑事ドラマなんて絵空事、警察仕事の多くを占めるのは、こうした地味かつ無闇に長い作業なのである。
「うん?」
空に何か、きらっと光るものを見た気がした。
流れ星?
にしては人間のように見えたが。長い緑の髪をなびかせ、白いワンピースを着た少女の。
……疲れてるな。
清恋は溜息をついた。明日の非番は寝たおすとしよう。
不法廃棄が何度もつづいて、とうとうゴミ溜めのようになったキャットロードの一角、渦を巻くようにして一人の少女が、空から舞い降り着地する。
身につけているのは白いワンピースひとつ、靴もはかず裸足だ。しかしその足は、油で汚れたアスファルトに接地していない。数十センチほど浮いているのだった。
少女は、わずかな星あかりを反射するエメラルドグリーンの髪をしていた。同じ色の瞳は大きくて、この世のものではないように輝いている。
「わたし、晴月(はづき)、きれいに晴れた青空に月って書くの」
立ちつくす根東を前にして、
晴月はにこっと笑った。
毎度毎度ガイドが長くてごめんなさい。ここまで読んで下さり感謝しています。
桂木京介です。
水槻 清恋さん、ガイドへのご登場ありがとうございました。このガイドにこだわらず、ご参加の際には自由にアクションをおかけください。
概要
拙作『BABY STRANGE』の直後くらいのお話ですが、前作と関連性はありません。また、シナリオガイドにつながる話にする必要もありません。自由な日常シナリオとお考え下さい。
唯一ルールがあるとすれば、テーマが『姫(プリンセス)』であることくらいでしょうか。
彼氏にお姫様あつかいしてほしい! といった正統派のお話も、姫路城に行ったよとか、シンデレラのガラスの靴みたいなビアジョッキを買いましたといったお話でも歓迎です。
また、プリンセスが女性である必要もとくにないのです。
NPCについて
制限はありません。
特定のマスターさんが担当している非公式NPCの場合、多少の調整が必要ですが、アクションに記していただければ登場できるよう最大限の努力をします。
以下のNPCだけは特定の状況が設定されています。
●五十嵐 尚輝とウォルター・B
ウォルターが尚輝をお月見に誘いました。九夜山あたりに行くのではないでしょうか。
●九鬼姫(くきひめ)
前作『BABY STRANGE』から少し容態は安定していますが、万全の体調ではありません。視力がかなり低下しています。眼鏡を買いに行くことでしょう。
●晴月(はづき)
あやかしでしょうか妖精でしょうか、それともほしびとかもしれません。風に乗って空を飛ぶ謎めいた少女です。生まれたばかりを自称しており、世の中のルールを理解していません。ゴシップ記者根東 吉成(こんどう・よしみち)の口車に乗って、寝子島警察署にいたずらをしかけることになります。
NPCとアクションを絡めたい場合、そのNPCとはどういう関係なのか(初対面、親しい友達、ライバル同士、生き別れの妹よあの木馬から降りるのだ、など。参考シナリオがある場合はページ数も)を書いておいていただけるととっても助かります。
また、必ずご希望通りの展開になるとは限りません。ご了承下さい。
それでは次はリアクションで会いましょう。
桂木京介でした!